1997年8月10日号

「寡婦クラブ」訪問記


5月30日号で紹介した「寡婦クラブ」に行ってきました。 宣伝チラシについては5月30日号に見られるように、かなり刺激的な文章が躍っています。 何かボラレるような感じもしたのですが、同じチラシが3回も社員食堂の前で配布されていたので、 もしかしたら、そんなに不真面目でも無いのかなぁー、と言う気持ちもありました (暴利をしたら、同じ会社に宣伝に来にくいのでは?)。 同僚で行った人は誰もいませんので、「自分で確認するしか無い」と、 岡トホホ氏を誘って行ってきました。

予備知識として知人から以下の解説を受けました。

行ったことはないが、「寡婦村」と称する飲屋の看板を見ることがあるので、 「ルームサロン」(4月23日号、及び6月14日号、参照) のバリエーションの一つと考えられる。
「寡婦」と称するからにはアガシの年齢層が高いのではないか。 本当の寡婦とは考えにくい。

確かに私が行ったことがある普通のルームサロンは、上記参考資料にもありますように、 アガシの年齢は27歳くらいが最高で、それ以上は、まず、見たことがありません。 有名な台北の林森北路の飲屋街の「小姐(台湾ではアガシと同じような場合に使われる)」の年齢層が広く分布しているのとは異なっています。 韓国では「若い」と言うことが、非常に大きな価値を持っているのではないでしょうか。


場所は「労働者の街、永登浦」です。 因みに永登浦駅は日帝時代は「南京城駅」と言われており、 日本人もかなり住んでいたそうです。
目的の店は永登浦の繁華街から少し外れたところにあるので、タクシーで行きました。 降りると、町工場があるような場所で、こんなところにルームサロンがあるのかなぁー、 と言う感じです。

店に入り、ルームに案内されたら、時間が早かったせいでしょうか、男性従業員がソファーの上で寝てました。 「おおーー、韓国らしい」と、思いました。 ボーイが来てメニューを出しましたが、全て値段が書いてあり、安いのです。 私がいつも行くルームサロンはメニューすらありません。 これで、まず一つ安心しました。 アガシへのチップがチラシに書いてあるとうりか確認しました。 ルームサロンでは10万ウオンが相場ですから、チラシに書いてある2万ウオンが異常に安く、嘘ではないかと疑っていたのです。

しばらくして飲物が出されたのですが、アガシがなかなか来ません。 尋ねると、電話をかけて呼び出しているいるようです。 7時ころではまだ早すぎたようです。 しばらくして、アガシが2人入ってきました。 「寡婦」と言うからには40歳くらいの「ハルモニ」ではないかと思っていましたが、 28歳と30歳とのことです。 それほどサバを読んでいるようには見えませんでした。 心配していた「動物園」状態のアガシではありませんので良かったです。
2人とも黒い服を着てましたので、トホホさんは、私の仮説である「黒い服」は「ソウルの飲屋の常識」 かどうか聞いていました。 言葉がわからないので、まだ回答を聞いていないのですが....

アガシが入ってきたところで、トホホ・ホームページの「極楽」に書いていることの実践です。 カラオケの本を取って、自分が知っている曲を人に遠慮無く、どんどんインプットします。 日本のように「1曲いくら」のようなケチクサイ制度はありませんので、歌い放題です。

普通のルームサロンの若いアガシと違って経験が豊富なのでしょうか、歌っていないときでもどんどん話しかけてきて、場保ちさせます。 若くて可愛いだけで、何の取柄もないアガシよりはよほどGoodです。

2時間ほどして「計算」しました。 メニューどうりで、まったくごまかしがありません。 なかなか上手に対応してくれたアガシには、キャッシャーに払うのとは別に、チップを渡しました。 この分は店の搾取がないので、払う方も貰う方もメリットがあります。 結局、合計しても普通のルームサロンの半額で済みました。


「寡婦」と言っている意味は、「アガシの年齢は多少高いが、値段は安いよ」と言うことを表わしているようです。 普通のルームサロンが高すぎるので、この手も店も流行るのかも知れませんね。 第一、日本のスナックのアガシの感覚で言うと、30歳なら若い方ですからね。

但し、英語も日本語も通用しませんし、日本語の歌もありません。 でもそれなりに面白いので、日本から来客が来たら案内するつもりです。

「寡婦村」に行く前にトホホさんと「オデカム」(イカ料理専門レストラン)で食べた イカ料理の写真



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