1998年9月ソウル旅行記
その6、戦争記念館 1

私が韓国に住んでいるとき、韓国空軍で飛行機の整備に従事したことがある李正馥さんが、戦争記念館に展示してある実際の飛行機を前に解説していただけると約束していたのですが、一緒に行くチャンスがありませんでした。 今回は、半年ぶりにその約束を果たしていただきました。
正面玄関(韓国国防部側から撮影)

戦争記念館についてはすでに’97年4月28日号’97年4月29日号で紹介しておりますので、 今回は李さんの話を中心にします。


朝鮮戦争初期に活躍したノースアメリカンP51ムスタングです。 この機種はレシプロエンジンでの世界最高速度記録を今でも持っているはずです。
日本の零戦などとは違って、重たい機体を強力なエンジンで力ずくで引っ張るようなところがあり、 旧日本軍で訓練を受けた韓国空軍パイロットのなかには急降下から機頭を引き上げる時に機敏に反応する日本機の感覚で操縦桿を引くのが遅れ、墜落したことが何回もあったそうです。

朝鮮戦争中期以後は、北朝鮮軍が軽快なジエット戦闘機、Mig15を繰り出してくると、このプロペラ式の名機も敵ではなかったようで、 大量にスクラップされ、金属は鍋や釜になり韓国国民の生活用品に変わったそうです。

主翼付根にある四角い穴の中には自動カメラが組み込まれており、自分の攻撃の成果を写真に記録できるようになっています。


北朝鮮が投入しはじめたソ連製、Mig15戦闘機に対抗するために投入されたのがF86F戦闘機です。 この機体も名機で、大量に製造され、日本の自衛隊でも1970年代まで使われていて覚えている人も多いでしょう。
F86Fジェット戦闘機
半年前まではF86Fの好敵手であったMig15戦闘機も展示されていたのですが、何故か今回は無くなっていました。 両機を並べてみると、米ソの初期のジェット戦闘機の設計思想を比較して見ることができ、興味深かったので、展示がなくなったのは残念です。

世界初のジェット戦闘機同士の空中戦もこの両機で行われたそうです。 ところが、速度で勝るF86Fでもドッグファイトになると、ヒラリヒラリと軽快に身を翻すMig15に苦戦しました。 墜落したMig15を調査したところ、空中で急ブレーキをかけることができるように、胴体の両脇の一部が50cm四方くらいの面積で横に張り出し、 空気抵抗でブレーキをかける仕組みが付いていることがわかりました。

急遽、韓国空軍のF86Fにも同じシステムを追加することが決定され、急いで改造作業が始まり、李さんも何台もの機体を改造したそうです。 その結果、空中戦でもMig15にひけをとらなくなったそうです。
韓国空軍のマークから右下にかけての四角いエリアがエラのように外に張り出し、強力なエアーブレーキになります。


’98年8月以降の目次に戻る
呉 光朝HP掲示板に進む