戦病死少年工の母親訪問   


 
 
 

旗山国民学校からは28名の少年工を送りだしたが、ただ一人だけ遺骨となって帰還した陳慈源さんの遺族を訪問した。 93歳の母親と慈源さんの弟(右)がご健在であった(左端は旗山国民学校で慈源さんの1年後輩で同じく元少年工の游信智さん)。

慈源さんの少年時代は体格がよく、運動が得意な少年だった。 高座では、1945年2月の寒い時期にもかかわらず、熱病に冒され、水をほしがりながら亡くなったとのことである。 慈源さんの死は戦後まで家族に知らされず、同郷の少年工が遺骨を持ち帰ったことで知ったとのことである。

 


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