現在は同じ形状の橋が2連になっている。 1本(向こう側?)は日帝時代に作られ、上を路面電車が走っていた。 手前の橋は動乱後、同じ形状の橋が増設された。
上の写真は漢江大橋の南半分しか写しておらず、中之島から北半分はアーチ式でない形状の橋が架かっている。 李承晩の軍隊によって爆破(落下)されたのは、この北側の橋のようである(つまり写真に写っているものではない)。