1998年2月22日号
最終号

昨年の4月9日から続けてきました「呉 光朝のソウル便り」も今回が最終号になりました。 日本の会社から突然の帰国命令が出て、2月末に帰ります。 今この文章を書いている「タコPC」は明日、李 正馥さん(「椎名さんに会いたい」の著者)に進呈し、アパートではインターネットができなくなるので、今回が最後の更新になります。

この「ソウル便り」は自分自身の暇つぶしで始め、将来、自分で読み返すと面白いと思っていたのですが、 最近では毎日、延べ200人くらいのアクセスがあるようで(どこからアクセスがあるかの統計は取っておりませんが、 全体の読みだし情報量(転送バイト数)からの推定です)、どうしても「読まれている」という気持が強くなってようで、始めの頃に比べ、文章が変化してきているのが自分でも分かります。

最終回にあたり、この11か月間の感想を以下にまとめてみました。

自慢話
日本が休日の日など、暇な時には他の韓国関連のホームページを見ておりました。 日本ではソウルオリンピック後に韓国ブームが起き、一時下火になっていましたが、最近はまた盛り返してきているようです。 このような中にあって旅行記のホームページはたくさんあります。 しかし、現在の韓国人の考え方や風俗をリアルタイムで伝えるものは少ないように思います。 私の場合は「会社内のただ一人の外国人で日本人会にも属していない」と言う環境条件により、 否応なしに韓国人と接触せざるを得ず、生の韓国人をレポートできたように思います。 会社の同僚の話が中心ですが、私のつたない韓国語の能力で話したタクシー運転手、クモンカゲ(雑貨屋)や食堂のアズモニ、ルームサロンのアガシ、及び日本語が話せる世代の人たちです。

書物とインターネット
毎日200人もの人に読んでいただいているにもかかわらず恐縮ですが、 私ができるだけ正確に書いているつもりでも、どうしても「世の中に流布している通説」の方が強いようで、 どこまで伝わっているか疑問のことが多々ありました。 私の文章能力の低さに起因することが大きいのですが、やはり、お金を出して買った書物に書いてあることの方がどうしても影響力が強いようです。 無料で簡単に入手できるインターネットに書いてあることと、書物に書いてあることの読者に与えるインパクトの違いでしょう。

韓国社会はものすごい速度で変化していますので、書物に書いてあることがすでに古くなっていることが多いのです。 書物の取材から読んだ時点までの時差が5年あったら、「すでに変化しているかもかも知れない」と言う心構えが必要でしょう。

大上段に構えてエラソーに書いてしまいましたが、専門の記者でもない私が取材した内容ですので、間違いがあるかも知れないことはご容赦願います。 また、間違いに気づいた方は「落書き帳」でお知らせ下さい。 韓国のプロバイダは2月末で契約が切れ、E−Mailは受取ることができません。

「悪貨は良貨を駆逐する」か?
これは昔のヨーロッパの有名な社会学者が言ったことばです。
韓国経済はこの20年間に飛躍的な発展を遂げました。 何しろ1970年頃までは韓国よりも北朝鮮の一人あたりのGNPが上だったのですから、現在、食料難にあえぐ北朝鮮から想像できるでしょうか。 ところが現在の韓国の経済は北朝鮮の20倍です。 体制の違い、指導者の違いによりわずか30年でこれだけの差が出るのです。

しかしながら、韓国の人々の考え方や行動は経済ほどには変化していないように思います。 これは「人間は30年ではそんなに変わらない」ことと、「水は低きに流れる」、「悪貨は良貨を駆逐する」 で言われているように「ズルイことをする人が少数でもいると、どうしても全体が悪い方に行く」からではないでしょうか。 でも、私は実際に韓国に住んでみて「駆逐する」ところまでは行かないと思いました。 ゆっくりではありますが、いい方向に向かっています。
例えば;

社会の違いについて
私は意識的に在日Koreanのことには触れないようにしてきました。 私の現在までの人生で、彼らとの交流が無く、書物やマス・メディアだけの知識で書きたくなかったからです。 ところが、野村進著の「コリアン世界の旅」を読みますと、通名(日本式名前)を名乗っていて分からないだけで、かなりの在日Koreanがいるとのことです。 従って、私の知人/友人にもいるかも知れません。 しかし、日本人としか思えない人たちばかりです。 私と同じ年頃ですと、在日だとしても二世、三世の世代ですから、日本で生まれ育っているので、 日本人と同じような考え方、行動様式になってしまっているのではないでしょうか(活動をやっている人を除く)。

何が言いたいかと言うと「在日の二世、三世を見て、韓国のことを語るのは間違いである」ことです。 逆に「韓国で生まれ育った韓国人を見て、在日二世、三世を語る」のも間違いであると言えるでしょう。 つまり、日本人と韓国人の比較を考える時、「人種と人種の違い」ではなく、「社会と社会の比較」として考えるべきでしょう。 このことは2月7日号で報告した「コレアン・ドラバーは、パリで眠らない」でも書かれており、 私と同じ意見だと意を強くしたものです(但し、この本では韓国社会とフランス社会の比較ですが)。

以上より、「ソウル便り」に在日Koreanのことを織り交ぜて書くことは混乱と誤解を招くおそれがあり、意識的に書かなかったわけです。


最後になりましたが、私の間違いや、知らなかった情報をメール又は「みんなの落書き帳」で連絡いただいた方々、 並びに、感想/励ましを送って頂きました方々に深く感謝の意を表明し、「呉 光朝のソウル便り」の最終号とさせていただきます。


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