昨年の4月9日から続けてきました「呉 光朝のソウル便り」も今回が最終号になりました。 日本の会社から突然の帰国命令が出て、2月末に帰ります。 今この文章を書いている「タコPC」は明日、李 正馥さん(「椎名さんに会いたい」の著者)に進呈し、アパートではインターネットができなくなるので、今回が最後の更新になります。
この「ソウル便り」は自分自身の暇つぶしで始め、将来、自分で読み返すと面白いと思っていたのですが、 最近では毎日、延べ200人くらいのアクセスがあるようで(どこからアクセスがあるかの統計は取っておりませんが、 全体の読みだし情報量(転送バイト数)からの推定です)、どうしても「読まれている」という気持が強くなってようで、始めの頃に比べ、文章が変化してきているのが自分でも分かります。
最終回にあたり、この11か月間の感想を以下にまとめてみました。
韓国社会はものすごい速度で変化していますので、書物に書いてあることがすでに古くなっていることが多いのです。 書物の取材から読んだ時点までの時差が5年あったら、「すでに変化しているかもかも知れない」と言う心構えが必要でしょう。
大上段に構えてエラソーに書いてしまいましたが、専門の記者でもない私が取材した内容ですので、間違いがあるかも知れないことはご容赦願います。 また、間違いに気づいた方は「落書き帳」でお知らせ下さい。 韓国のプロバイダは2月末で契約が切れ、E−Mailは受取ることができません。
しかしながら、韓国の人々の考え方や行動は経済ほどには変化していないように思います。
これは「人間は30年ではそんなに変わらない」ことと、「水は低きに流れる」、「悪貨は良貨を駆逐する」
で言われているように「ズルイことをする人が少数でもいると、どうしても全体が悪い方に行く」からではないでしょうか。
でも、私は実際に韓国に住んでみて「駆逐する」ところまでは行かないと思いました。
ゆっくりではありますが、いい方向に向かっています。
例えば;
日本人と顔が同じなので、無意識に同じ反応を期待してしまいますが、「文化/社会が違う」と言う、基本的な見方を持って接するべきでしょう。
何が言いたいかと言うと「在日の二世、三世を見て、韓国のことを語るのは間違いである」ことです。 逆に「韓国で生まれ育った韓国人を見て、在日二世、三世を語る」のも間違いであると言えるでしょう。 つまり、日本人と韓国人の比較を考える時、「人種と人種の違い」ではなく、「社会と社会の比較」として考えるべきでしょう。 このことは2月7日号で報告した「コレアン・ドラバーは、パリで眠らない」でも書かれており、 私と同じ意見だと意を強くしたものです(但し、この本では韓国社会とフランス社会の比較ですが)。
以上より、「ソウル便り」に在日Koreanのことを織り交ぜて書くことは混乱と誤解を招くおそれがあり、意識的に書かなかったわけです。
最後になりましたが、私の間違いや、知らなかった情報をメール又は「みんなの落書き帳」で連絡いただいた方々、 並びに、感想/励ましを送って頂きました方々に深く感謝の意を表明し、「呉 光朝のソウル便り」の最終号とさせていただきます。