ある読者の方が、ソウルの独り暮らしは寂しいだろうと1冊の本を送ってきてくれました。 何と私が8月31日号で紹介した週刊誌の書評紹介に書いてある「コレアン・ドライバーはパリで眠らない」 (著者:洪 世和、翻訳者:米津篤八、みすず書房)でした。
8月31日号では「週間文春」に掲載された書評を紹介しただけで、私自身が読んでいなかったのですが、 今回、実際に読むことができましたので、私なりの感想を書きます。
77〜79年、「韓国民主闘争国民委員会」(民主闘委)、「南朝鮮民族解放解放戦線準備委員会」 (南民戦)に加わる。 79年3月、貿易会社の海外駐在員として渡欧するが、同年10月の南民戦事件により帰国不能となり、 パリに定住。 現在まで観光案内、タクシー運転など数々の職業に従事しながら、亡命生活中。
翻訳者はこの本を原文で読み、是非、日本語訳すべきだと確信して、 翻訳作業を始めたとのことである。 日本語版は「みすず書房」から97年7月25日に発行された。
翻訳者は専業ではないようあるが、韓国の社会に興味を持っている、いわゆる相当な「韓国ヲタク」ではないだろうか。 翻訳者の「注」は、とうてい普通の翻訳者では書けないような深い知識で書かれており、 原文の読みやすさ(翻訳者)とあいまって、日本人にも大変分かりやすくなっている。
この本の要約を書くことは、広範な話題すぎて私の手に負えないので、印象に残ったことがらだけを以下に列記します。
韓国は「反共」を、フランスは「自由、平等、博愛」ということになっている。 しかし、もっと人間のプリミティブな精神に戻ると、韓国の「憎悪」の社会とフランスの「トレランス」の社会の違いに帰着する。
「憎悪」と「トレランス」については本書を読むと良く分かるが、両方の社会を経験した著者ならではの社会批評であろう。 呉 光朝は韓国人/社会を表すコトバの一つとして「恨(ハン)」と言われるのは知っていたが、「恨」についてはどうしても完全に理解できないでいた。 しかしながら、今まで「それは恨のなせるわざだ」と言われていたいくつかの事柄の中には、実は「憎悪」でしか無かったこともあるのではないかと思えるようになった。
1793年6月24日のフランス共和国憲法、第120条:フランス国民は、自由の名において、彼らの祖国から亡命した外国人に避難所を提供する。 圧政者はこれを拒否する。旅行目的地:コレ(Koreaのフランス語読み)を除くすべての国
「亡命証明書」と「旅行文書」を手に入れても、それだけで生活が確保できるわけではない。 フランスにある韓国企業の事務所ではそんな「危険人物」を雇ってくれるわけではない。 当時のフランスは社会党政権(ミッテラン大統領)であった。 フランスに駐在する韓国人や留学生は「社会主義政権の国にいる」という事実だけで、 本国から何らかの「おとがめ」があるかもしれないと、戦々恐々としていた時代である。 それほど徹底して「アカ」に対する宣伝と、取締りが行われ、一旦、烙印を押された人の人生は過酷なものであった。
フランス企業で韓国と取引きがあるところに就職しようにも、肝心の韓国に行くことができないのでは話にならない。
彼は、自身でも書いているように「インテリの常で、最初は頭で金を稼ごうとしたが、
無理だということを悟り」、タクシー運転手の試験を受けた。
「赤色集団、国家転覆企図」、「自生的共産主義者集団」、「組織員をヨーロッパにも派遣(著者のこと)」。
著者は組織に所属していたのは確かであるが、パリにいるのは会社の仕事で来ているのであって、 組織からの命令で来ているわけではなかった。
係官の質問は著者を戸惑わせた。
「組織に所属していたのは分かった。 そこであなたは具体的にどんな行動をしたのです?」
よく考えれば組織と言ってもまだ準備段階であり、「朴正煕軍事独裁政権を打倒しよう」というビラを何回かまいたことくらいしか答えられなかった。
フランスでは軽犯罪法にも該当しない。 あきれてしまうが事実だった。
また、組織から派遣されて来たわけでもない。
これでは亡命審査に通らないと危惧し、聞かれてもいないのに「我々の組織はアメリカ帝国主義にも反対した」と、言った。
彼は即時に「ではどんな行動をしたのですか?」と聞き返してきた。
またまた、立往生した。 ここでは「考え」ではなく「行動」が重要であることがわかった。
無力感に襲われ、韓国の政治状況、「国家保安法」、「反共法」などを一生懸命説明した。
係官は逆襲した。 「それではあなたは共産主義者ですか?」
著者が悪夢に見るKCIAでの取調べと同じ質問だ。 「お前はアカだろう?」、
夢の中では「違います!、違います!」と答えるのと同様に条件反射的に係官に対して「ノー」と答えた。
畳みかけるように係官は「でしたら、あなたが提出した新聞に書いてある内容は間違っているということではないですか」と、言った。
崖っぷちに立たされた著者は興奮して韓国での「アカ」を分かってもらおうと努力した。
韓国では共産主義者を「パルゲンイ(アカ)」と呼んでいる。 共産主義者もアカだが、社会主義者もアカだし、進歩主義者もアカ、アメリカに批判的でも、やはりアカなのだ。 そして理想主義者も、ヒューマニストも、やはりアカになるうる場所が、まさに韓国なのだ。 あなたも韓国ではアカになるかも知れない。 いや、あなたはフランス人だからアカにはならない。 もしあなたが共産主義者であるとしても。韓国人だけがアカになる資格があるのだから・・・・
係官はするどい質問をしたわりには著者の話を良く聞いてくれたようである。 そこを出た著者は雨の中、ずぶぬれになりながら、あてもなくパリの街を歩いた。 一つの社会ともう一つの社会が出会う時、天が与えた涙だった。
韓国では京畿高校(K)からソウル大学(S)を卒業した人のことを「KSマーク」と呼び最高のエリートとされている。
昨年末の大統領選挙で善戦し、惜しくも破れた李会昌氏はまさにKSマークで、しかもソウル大学法学部を一番の成績で卒業した大変なエリートであるそうです。
今回の著者も、KSマークであり、「活動」せずに、普通の生活をしておれば、−−いや、活動したとしても韓国にとどまっておれば−−
かっての仲間たちの多くが、現在では釈放され国会議員や大学教授になっているように(もちろん、死刑になった者もいるが)、
相当な社会的な地位についているとは思いますが、事件発覚時にたまたま外国にいたと言う運命のいたずらもあり、
今はパリでタクシーの運転手をしているのは、感慨が深いものがあります。
一つの救いは2人の子供の学業の成績がかなり良さそうなことであり、学校の宿題を見た時、
京畿高校の秀才であった著者の同年代のころと比べ、余りにも深い知識に驚いたそうである。
そこでは記憶中心の韓国の受験勉強ではなく、まさに「自由、平等、博愛」の勉強のようである。
子供たちが将来、韓国系フランス人として国際的な活躍をされることを祈る。
この本は韓国社会とフランス社会の二つの社会/文化の比較論として読んでも面白いですが、仕事柄、 日本など、他の国の人や社会についても知識が得られるのでしょうか、書いてあり、興味が持てました。 韓国を初め外国の社会/文化に興味がある人には読むことをお勧めします。