予告なき離別

所がです,運命の離別を余儀無くさせられた. 或る雨の日の午前3時. 僕等約300名の中でタッタの18名が特別に選ばれ俄はかに 予定にもない名古屋を離なれることになった. これに私も含められた. 椎名さんには連絡も取れない. 同僚達にも知らせられない. “秘密だ”と言はれて何処へ行くのかも知らない. 寝トボケのまま連れられて行った所は横須賀の軍港であった. 白色の作業服に同じく白色の戦闘帽と黒色の海軍靴の姿は 名古屋での班長らの姿とは一目見るだけでも全然桁が違うように見えた. どうしてでしょう. 短剣を腰にした将校の服装は特に目を引いた. アコガレテ居たからであろう. 朝鮮人である事も忘れてトンデモない空想をした. 環境の違いが安定感にこんなに大きな差を付けた. これが戦争中の軍港なのか?と疑う程であった. 私には2度と味わえないこれからの私の人生に重大な意味を持つものであった.

此処では名古屋の時の様に残虐症患者の班長らが居無いから殴られない.
美味しいゴハンも腹一杯食べられる.
キレイな寝床の上で静かにグッスリ寝むれる.
毎日でもお風呂に入れる.
用務有れば何時でも医務室に行って治療してもらえる.
チャンとしたトコ屋も有る.
もちろん無料で利用出来る.
蚊もシラミもマッタク無い.
朝晩ドロ道を走ることがないので足もイタクない.
雨や雪にも濡れない.
作業服が汚れない.
作業服の洗濯も自分で出来る.
給料の掠奪もマッタク無い.
名古屋にはウヨウヨして居た全裸のセックス相手のオンナも居ない.
従たがって単細胞動物も居ない.
今までに見た事も考えた事も無いマッタクの別世界に来たのであった.

ここてもヒトツだけマズイのが有る. 外部との連絡は何も彼も出来ない. 従がって椎名さんには勿論,郷里の方にも手紙を送る事も受取る事も絶対に出来ない. 手紙なんかのやり取りをする位のゼイタクな時間はマッタク無い. 勤務するのは月月火水木金金で土・日曜日がない. 従って休日も無い. これだけが玉に疵であった. 鬼畜米英との間には食うか食われるかの戦争の真っ最中だそうである. だから休日が無くても外出が出来なくても殴られない事だけでも 有り難い話でガマン出来る. 困まる事,不都合な事が何も無い. 自分から率先して必要な知識をマジメに精一杯納得するまで勉強する事が出来た. 飛行機の整備に必要な勉強をするのが毎日の日課であった. これが後日(韓国動乱の時)私が韓国の空軍に志願入隊する契機になった.

大日本帝国海軍の技師(海軍大尉待遇の軍属),兵曹長,1等兵曹, 技手,嘱託が教官で筆記試験にヒトリ不合格者が出て団体気合で ヒロイ練兵場を50回夜中に走リ廻はされた. 団体気合も海軍と陸軍の違いは余りにもハッキリして居る. 何をする時間なのか?, 何をしなければイケナイのか?,が何時も頭にピンと来て居るから無駄の無い 行動が自分の判断で出来る. 海軍の軍人にはナントなく紳士的な面が多く見えた. それは名古屋での班長らのようにただ殴らないからだけではない. ヒトクチでは説明に困るがトニカク親切な面も多いが溢れる程の必勝の信念で 団結されて居るのが強く印象的に感じられ, 戦争をしている国の兵隊に見えたからである.

 


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