地獄に舞い降りた天使

別のお話しです. 有り難い,忘れられない,忘れてはイケナイ,日本女性との間の出来事です. 椎名(シイナ)さんは,丸顔の,ニキビ顔で,デブチャンではない,お心が優しく, 美しくキレイな女性で,私よりは3〜4歳位年上の方です. 決して異性としてでは無い. 有り難い感情だけを前提にしたい. オ姉エサンと呼ぶ呼ぶことだけでも是非して見たい方である. 呼ぶことだけでもして見たいのは,私にはお姉さんが居ないからでもあるが実はそれだけではない.

椎名さんは私にはハハであり,オネエサンで有り,大恩人である. 大変なご迷惑とお世話になった方で有る. 祖父が強調した奉仕精神を発揮された方である. 大事な事は椎名さんのお心の中の事で有り,純粋な熱い人間愛の実行者で有る事で, 私はその点を高く評価したい. 親しい友達はもちろん,生みの母でも出来ないと思われる危険な事までも断ることなく 結果がハッキリするまで立派にメンドウを見てくれた. 椎名さんの様な方が残虐の極まる地に住んで居られたと言う事は, この世の中にはマダマダ人間の安住することの出来る余地の有る所が残って居る証拠 であると思う. ドブ水の池の中に咲いた蓮(ハス)の花である.

名古屋の港区 下之一色(シモノイシキ)に椎名さんの家 (瓦葺,単層,木造建築)が有って大きい無花果(イチジク) の木が有ったのを記憶して居る. 雑炊(食料不足時代の名物;味ソ汁に野菜と麦とお米を少しづつ入れて炊き上げたお粥. 一杯が五銭)の買い食いをする為に何十メ−トルも長く並んで待っている列の中で 椎名さんとは顔馴染みに成った. 配給制で食糧を含めて日用品のすべてが絶対欠乏時代なので何でも食べるものであれば 涙が出る程ウレシイものである. 雑炊がそのヒトツである. 味がどうのとかのゼイタクを言えた時代ではない.

こらえ切れない位まで待ってでも雑炊が買えさえすれば有り難い. 途中で切れないで....(この雑炊屋の隣には日本刀屋が, 少しは狭そうにも見えるガラス窓が有り,その奥の方には長短各1本の日本刀を 上下に飾って居た). 雑炊を買い食いするために,ならんだ列が長い時には,運が悪ければ, 途中で切れて食べられない食べられないことが往々にして有る. そんな時は余計オナカが空いた感じでタマラナイ. こうなれば運の良し悪しは問題にならない. スイテいるこのオナカをどうするのかがマッサキの問題である. 対策らしき”コレッ”と云った対策も考えられ無い.

早く他の雑炊屋を探して走り廻って見る. 時間的に可能性が有ればの話である. 時間的に可能性が無ければ早くアキラメル. 他に買うことの出来るものには,トコロテン(1皿2銭)も有った. これも椎名さんとイッショに買い食いしたものである. 何かの因縁でも有ったのでしょう. 雑炊屋の前で椎名さんに会えない事は殆とんど無かった. やはり,食料品の絶対欠乏時代なので雑炊は必要不可欠の食料品として待遇 (?)された. 身分が高い低いと騒いでも,腹がへっては話が全然違ってくる. 食料品としての雑炊の存在価値は充分にして余るもので有った.

月に1回の休みの日には例の雑炊屋に行くがそこには必ず椎名さ んが先に来て居る. 何時の間にか椎名さんと一緒になり,スグに秘密ル−トからのお手紙, オカネ,その他のお話しを始じめるが話題が足りなかった事はない. アマリにも親切であり,丁寧なのでお互い に話題が遂きない. 関西弁の強いアクセントではあるがほんとうに意味が良く通じた. 椎名さんは豊富な話題の持主であった. 毎月只1回だけの休みの日がそれほど待ち遠しいのは雑炊が食べられる だけのものではない. 椎名さんからの熱い人間愛に深い感銘が受けられるからでもある.

例の日本刀を望めたり,映画で見たサムライのジャンジャンバラバ ラのお話し,椎名家の家宝の宝刀は国家に献納したと言うお話しま でしてくれた. 50年も前の事で有り,今では思い出せない事の方がもっと多い. 止むを得ない. その後はお互に誰が先と言う事も無く遠い所に居ながらも通り過ぎの時にも 軽く目礼くらいはするようになり. 隣の工場で仕事をして居る事等もダンダン判る様になった. 軽い気持で良くニコニコも出来るようになって来た. 異性とかのことナンカは全然ワカラない時期である. 何ヒトツも他の意味はない. モンク無しに有り難い、感謝の意味だけである. ツマラない朝鮮人の私をこんなに姉弟か親戚と同様にして人間的に待遇してくれる 有り難い方だからその意味での恩返しの目礼である. オヒルの時間に食堂に行く時にも,その気持でお互いに誘い合うようになった. 他人の眼を意識したことは無い.椎名さんには何時でも尊敬の気持を 忘れず礼儀に外ずれないようにシッカリ努力した. 或る日の昼過ぎ,食事の時間も過ぎた午後の日課を前に控えて例の 如く班長らを意識して見付からないように隠れて寝不足を補充す る目的のヒルネをして居た時の事である. カシコイ隠れ方をするのでマワリの人でもナカナカ見付けられないはずである. 後の方で私の名前を小声でコソコソ呼んで居る人の音声が聞える. しかし誰が何故呼んでいるのかその人の姿はよく見えない. よくよく見ると物影に隠れて人に見付からないようにして手招きして居る女性が居た. 椎名さんであった. ムネがドキドキして治まらない. どうしてでしょう.

時々食堂に行く時とか休憩時間などの時に誘い掛けに来てくれた 例は何度も有る.しかし今度のように他の人を意識して隠くれて呼んでくれた事は 始めてである. ヒトメで椎名さんを確認出来なかったのはワケが有る. 当時の女性は頭巾に胴衣とそれにモンペ (ワカルかなあ?.ズボンに似ている女子用平常・作業時兼用の服装) を着用して居た時代である.稀れに見るが救命袋を肩に掛けた方も居られた. ミンナが同じく見えて誰なのかがすぐに識別しにくい. そんな時代であったから止むを得ない. 丁度ハエのオス,メスの区別がしにくいのと同じ事である.

マッタク意外なお呼び出しを,女性から,それも椎名さんよりはじ めて受けたのだ. 余計ビックリした. 思春期とかの事は何も知らない. 既に白状済みである. 異性とのお付き合いは良心に誓いイッぺンも無い. マッタクわからない. その道では白痴である. 女性から呼ばれた事は勿論,会話の相手にして貰えたとか, 恋愛手紙の交換などは因縁が無い. 始めは何気無く立ち上るまでは良かった. その後顔がドンドン赤くなってくる気配になる. 静ずかに出来ない. 初めての女性とのお付き合いである. 椎名さんに手を引かれ連れられるままに走った. 何気なしについて行った所が(水洗式)女性用トイレの中です. マッタクの意外な所に連れられた. 所が椎名さんに連れられたと同時に胸が破れそうになるのを感じた. 胸がドキドキして中々止まりそうな気にならない. 顔が熱くなり気持がイライラして安定しない. 手や足が激しくガタガタ震える.汗が流れてしようがない. 場所が女性用トイいの中で誰も居ない. 2人だけなのでもっと激げしく胸がウナルのかも知れない. 椎名さんは何かお話しをしたいらしいが何も言はない. 何故でしょう?. 私の胸の中はどうしても静かになってくれない. 困まりました.

口が詰まったのか(?)お話しがしたいのに一言もしゃべれない. 今までの間にこのような経験はイッぺンもしたことがない.迷ってしまった. ウロウロして居るしか何も出来ない. そこへ今度は椎名さんが自分の胸に私の頭を入れてしまうかの如く 両方の腕で包む様にして強く抱きしめる. もうイッぺンビックリした. この時になるまでにはハハ以外の女性の胸に抱だかれた事は良心に誓い イッぺンもない. したがってどんな気持になるのかも知らない. 所がどうしてでしょう. 血圧はドンドン上がってくるような気持になる. 経験の無い証拠である.

今にでも破れそうな気持になり耐えられ切れない. 所がそうじゃないのです. ハハの胸に強く抱きしめられた赤ん坊の気持がこんなものではないでしょうか?. 温かい,柔わらかい,静かで平和そのものでした. 夢では無いのかと疑がっても見た. 何時までもこのままジットして居れたらどんなに幸幅な感じになったでしょう. どうすれば良いのかワカラナイ. 抱きしめられたままの姿勢でどの位の時間が経過したでしょう. 暫らくして,椎名さんの第―声です. [ヒモジヤロナア],[コレ食ベテ], と言いながら何かをフトコロから出してくれた.

それは梅干付のまだ温だかいニギリメシです.飲むためのお水も有る. 何処でどんなにしてこのニギリメシを持って来たのだろう. 隠れる場所をトイレにしたのはカシコイ. どうしてこんな所を思い出したのだろう. トイレの中であろうと構まはずにほんとうにオイシク食べた. 有り難い気持のお礼のアイサツもせずにブタのように夢中になって食べた. 心の中で何回も何回も”有り難う”と叫びました. この気持を説明するにはどんな方法が有るのでしょう?. 果して説明の出末る可能性だけでも有るのでしようか?. 熱い涙がドンドン流れて流れて止まりません. アタマの中がボヤッとする.感謝感激とはこんな時に利用出来る言葉なのでしうか?. 椎名さん有り難とうです. 以後も,椎名さんの胸に抱かれた事は何 度もまた有った. そんなことが有る度ごとにいくらガンバッテも涙が流れて止まらない. 自分も知らずの内にオネエサンの胸の中の温たかい,柔らかい,静ずかな, そして平和な気持に包まれてしまう. だから涙が止らないのかも知らない. それからは,お互いの家族の話,風俗の話,楽しい,嬉しい,喜こばしいお話しだけを, ゲラゲラと笑ったり,美味しいものを食べながらタップリおしゃべりをした. 寄宿舎(寮)での生活はメチャクチャに虐待されるので辛くて苦し くてタマラナイ毎日である.

でも工場には椎名さんが居られる事を考えながら愉快な気持ちで 毎日の仕事をする.此の気持をアナタは想像することが出来ます か?.そう簡単に表現出来るとは思はれません.トニカク生れて始め てで有り,救いを受けたとか言はれる気持をこれに例えられますか?. ワアッと泣き付いてしばらく抱きしめられたまま泣いた. 椎名さんも熱い熱い同情の涙が果てし無く流れるのも忘れて一緒に泣いてくれた. 感激の熱い涙が暫らくは止りません. 椎名さんは私を抱きしめたまま[木村さんシッカリしなさい,元気を出しなさい] と慰さめ励ましてくれる.

[もう暫ばらくですガンバリなさい]と励ましてくれる. 何を意味する言葉なのかは問題じゃない. 椎名さんが励ましてくれた事だけが大事なことである. これからは椎名さんと私の秘そかな密会の場所としてこの女性用トイレを利用する事に して私の作業台の後に鉛筆をブラ下げるのを合図にして... タクサン利用させてもらった. その都度美味しいニギリメシを食べさせてくれる. 私の本家からの手紙を始めとして内緒の連絡事項が有る時には必ず利用した. 作業服や肌着其他の洗濯物もみんなキレイに洗ってこのトイレの中で着せてくれる.

空襲の時などにも私の手を引いて逃げてはマンガや読み物等を見せてくれる. 郷里にお手紙を書きなさいと便箋紙をくれる. 作業服のヤブレタ所を縫い合はせてくれた. 次の休日の計劃を樹てたり..... 私に対してはほんとうに親切に相手してくれた. 休みの日は月に只一回だけ. 椎名さんはご自宅にまで私を連れて行っては美味しい食物をイロイロ 食べさせてくれた. 当時は食料品の絶対欠乏時代であり配給に依存して居た頃ですから 美味しい食物と云うのは名前は有っても実物は見ることさえも出来ない. 目に見えるものはスべテが食物に見えた時代である.

イクラお客さんでも思う存分何んでも食べられる時代では無かった. 所が椎名さんのお宅では何処で調達するのかは知りません. 量こそ少いが何種類かの食料品が有るようでした. 毎度美味しい食べ物でホントにご馳走になった. 忘れられない.モウヒトツ.燃料が無くてお家族達でもお風呂は使用出来ない. でも私には何回もお風呂に入れてくれた. お風呂の後の昼寝の一服はほんとうに何んとも言えない格別なものである. サラッとして軽くて温たかい、綿フトンに包まれた静ずかな寝心地は何んとも言えない. ナント有り難いことでしょう.

こんなにスバラシイ寝心地は夢にも考えたことがない. 天国の寝床での寝心地がこんなものでしょうか?. その上,椎名さんは殴られて出来た傷つけられた所を探してキレイに洗い落して 薬も付けてくれる. [痛たかったでしょう]と慰労してくれる. その温かいお心遣いのせいで痛みが早く取れて傷処も早く治癒されたと信じて居る. ほんとうに心からの感謝だけては足りないと思う. 私の実家からの手紙(見つかるととても危険なもの)や秘密ル−トの中継役も漏れ無 く引き受けてくれた.私の方から,実家宛に送る手紙は(韓国語はワ カラないから日本語だけで書く)監視されるかも知らないと言う事とか. また実家の方からオカネを送金して貰った時とか,アブナイと思はれる時には 必ず椎名さんのお名前でゴマカしてもらった. こんな事は仲良しの友達や親戚の間柄でも出来ない危いものである. 1度だけ警察か憲兵隊にニラマレルとオシマイである. スパイの疑いで命を取られるオソレも有る. どんな事をしても結構取り戻どせるものでは無い. それを椎名さんはモンクなしに全部引き受けて私のために努力してくれた.

或る日の事,椎名さんに例の場所の鉛筆の合図で誘はれた. [明日はお休みでしょう]と問はれて[そうですよ]と答える. [じゃ明日は伊勢紳宮に行きましょう]と言はれた. 嬉しくて喜こんだ事は忘れられない. [天真爛漫な子供の様に飛び上って喜こんで居た]と後で言はれた. 夢にも見た事の無い広大無辺な太平洋を展望することが出来る. 伝説か歴史の話題かは別問題で天ノ岩屋とか,二見ヶ浦の見物が出来る. 日本第1位の官幣大社である伊勢紳宮にも行ける. スガスガしい新鮮な空気を腹イッパイ吸い込める. 躍る胸を押さえてイロイロ空想をして見る.

これはもう数日も前から準備を進めて居たらしく休みの日になり, 連れられるまま名古屋駅(地下駅で市外電鉄だったと思う)に出て見ると 椎名さんのお家族3人一同はすでに私の切符の準備まで済ませて待って居られた. 家族か親族の中の一人としての待遇である. 此の有り難い気持はどうすれば表現する事が出来るでしょう. 有り難い気持ちもソコソコにしてトッテモ速く走る車窓から外を望め ながらご馳走を頂だいたりして居る中に伊勢紳宮駅(?)に着く. 内宮,外宮が有る五十鈴川のキレイな水に手を洗う. 鮮やかな色とりどりの大きな鯉がタクサン集まって泳いで居る. アノ大きな杉の木は何百年位成長したでしょう. 参観の記念にスタンプ・ブック(5銭?),スタンプ(2銭?)を 終戦後帰国した後までも保管して居たのだが, 伊勢観光の唯一の記念品で有ったのに.... 残念にも韓国動乱の時に紛失した.

[太平洋の海岸だよ]と云はれる. 水平線の見える海辺に出た. 天ノ岩屋と二見ケ浦を見た. 二見ケ浦の鳥居とシメナワが風雨に露出され曝されたままである. 大丈夫だろうかと思う. 歴史の時間に聞いた天ノ岩屋のお話しを思い出す. 素砂男尊の乱暴のために天照大神がお隠れ遊ばされ世の中が暗闇(クラヤミ) になった神話や伝説にあるヤホヨロズノカミが集まり踊ったり歌ったり 鏡を持ち出した所だと伝えられて居るとの事だが, イクラ神話とは言え少なからず狭く感じた. 果が見えない水平線のむこうでは今何が起きて居るのかも忘すれて ボヤッとしたまま太平洋の彼方をながめて居た. 食うか? 食われるか?の戦争の事は忘れて居た.

帰りの駅で(駅名を忘れたがスホウ駅と思う)列車が止まるのを待って居たかの様に 椎名さんは女の方が何かを売っている所に向って走って飛出した. 焼キ豆です. 豆にお塩を少し混ぜて鍋に入れて焼いたもので列車の中でオイシクみんなで食べた. そして残りをくれた. 寄宿舎に持ち込んで同僚達と分けて食べた. 食べ物さえ有ればナンデモ喜こんだ時代であったから 焼キ豆であってもスバラシイご馳走には違い無い. 班長らに見付かった後の事はしばらくは忘却したのか心配にならなかった. 幸にも運が良かったのだろう.見付からずに済んでヨカッタ.

アメリカのグラマン戦闘機の機銃掃射や宣伝ビラの撒布で空襲警報になると 防空壕の中に逃げ込んだ時にも又メンドウを見てくれた. 殴られて出来た傷処を見付けては薬を付けてくれたり,水虫で 苦しんでいる足の治療もしてくれた. その甲斐もなくその水虫は今も残って居て年中私を苦しめている. 50年前のオミヤゲです. 防空壕の中の腐ったドブ水が原因でキレイな水で足を洗えないので 出来たオミヤゲである. 他の水で足を洗っているのが見つかると“朝鮮人のクセに”と言って班長らに殴られる. でも班長らはクツもキレイな水で洗はせながら僕らは足を洗っても殴ぐる. 頭やカラダを洗う水や飲用水さえも節約させて居る戦争中なのに...

その当時の私と言うのはアレだけ見にくい,キタナイ,殴り殺されてもカマワナイ, そしてブタよりもまたその下の身分である. 皆んなからは何んのウラミが有る訳でも無いのに一方的に蹴っ飛ばされるばっかりの 朝鮮人年少工員であった. 椎名さんは何が故に何ヒトツとしても損になる事は有っても得になる事は無いはずの 私をそれだけ大事にしながら可愛がってメンドウを見てくれたのでしょう. 椎名さんのこの有り難いお心遣いにどうしたら報恩することが出来るのでしょう. 再会する事が唯一の宿題で有る. 何も彼も再会する事から始まるからである.

 


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