恨みを超越

天気予報;
私の身体(カラダ)は晴れても曇っても相当精確な天気予報の役割をする. 殴られた余毒の影響だと言う. 肩,背中,臀部,大腿部,腰,脛,の部分を特に酷く殴られた. 軍靴の泥脚で胸や腹を蹴られた. 足を上にして逆さに弔り下げてブランコの様に振り上げて戻る時に何処 でも構はず交代して殴る試合をする. 班長らの眼には朝鮮人は人間に見えないらしい. その証拠には不具者になる恐れが有る危険な所も構はずにムチャクチャに 殴るのでハツキリ判断出来る. 脊椎を殴られて下半身麻痺の不具者になった同僚が3人も居る.

この3人は今はどうして生活して居るであろう. これは処罰とか賠償だけでは解決出来るやさしい問題では無いから班長らにも, その監督者たちにもマッタク同等の不具者にしてその苦痛を骨の中ま で滲みこませてやる必要性がある.強風の場合は痒くなる事で分か る.雨の場合は先の尖がったもので突き刺すかのような疼痛が有る. 雪の場合も似てはいるが疼痛の継続する時間が長がびく. どちらの場合もナミ大抵の苦痛とはレべルが全く違う.

お湯を沸かしてシップをして見る. 薬をツケテ見たり,またはノンで見たりしても効果の無い時には死にたい. これが1−2回だけじゃない.大体1−2日位前には解かるようになる. イクラ治療を受けても効果が見えない. 症状が少しヤサシクなる様うに見えるだけでスグにまた元に戻つてしまう. この悪循環の症状のためにこんなに澤山のオカネを払はせたと思うと 突然血液がみんな逆流する. 目に見える日本人をミンナ殺したい気持になってしまう. でも仇討ちはイケナイと祖父に教えられたのでそれを忠実に実行することにした. だからこんな実相を堂々と書いて真相を満天下に明きらかにしたい.

蛙の子は蛙になる;
”蛙の子は蛙になる”そうである. 2度と同じ蛙が生れない様に特別警戒する必要がある. これをシッカリと警告しておく. 武器でもって,立身しようとした奴は, 必ず武器に依って滅亡する. 此れは萬世までも不変の鉄則である. チャンと歴史が証明して居る. キモに銘じるべきである. サリンガスで人の生命を奪い取る企みをする者、班長らとその監督者. 植民地協定が円満で有ると強弁する奴らはミンナ同類の気狂い蛙であると断言する.

野獣のようで,餓鬼のようで,野良犬のようで,精神病患者のように も見える,アノ班長ら(ドロチャン)も,その上部に寄生して国民を 搾取し,戦争を起こした軍閥ら(気狂い蛙連中)もミンナ生きている 間に絶対公平であるはずの天罰が必ず有る事を真実に確信して居 る.こんな気狂い蛙は2度と此の世に現はれてはイケナイ. こんな気狂い蛙が現はれないようにすると言う事は,ヒトツの国の事だけ では無く,全世界の平和を維持する為にもほんとうに絶対必要な事 だから2度とコンナ気狂い蛙がこの平和な人間社会に生れたらイケナイ.

それがウマクなければ,その子の代か,その孫の代には, 天は必ず 報復してくれるはずである. 人面獣心とは,ツラは人間に見せかけ て心の底にはケダモノが潜んでいる者である.それらの代表的ケダ モノを選別させるとしたら誰でも共通してドロチャンと気狂い蛙 連中を指定するであろう.ウラミも何も無いのに,勝手に起こした 戦争を理屈の種にして,朝鮮人と言う事だけで,無茶苦茶な残虐行為 の実験用に利用した事は,許るせるものではない.

私は非常に興奮しては居るが冷静を忘却しない位の教養は身に付 けているつもりである. 同等な条件で正々堂々と何かの勝ち負けを決めるもので有れば,こ れは別問題で解決方法も別に有るはずである.一方的に相手を抑圧 した方と相手に抑圧された方とは始めから対等状態とは言えない. メチャクチャなアンバランスである. 全くの臍曲り正義である.

こんな中で未成年である朝鮮人年少工員を相手に,卑しくも大日本 帝国の兵隊がイサマシク出動した事件は確かに勝ち負けとはマッタクの別問題であり 意味が違う. 未成年の年少工員を相手に兵隊が出動するような事は2度とあってはナラナイ. 何処でも,どんな事が有っても,正々堂々であると誰からでも認証されたこと 以外には兵隊が出動する事はイケナイ. 卑怯千萬である. 弁明してもナンセンスである. 恥じるべき醜態に違いない.

恨(うらみ);
[恨を持つことは百害有って一利無し].これは私の信条の中のヒトツである. 私の命の続いている間は,この信条は変えない覚悟で有る. これからもこの信条を根本にしての生活を続けて行きたい. 神風特攻隊に,または玉砕組の中に入れてもらい勇敢な戦死をして靖 国神社に祭られたかった事は確かに教育の効果である. 然らば酷大な代価を支払らった歴史的の教訓はモット尊重されて当然な事で 有る. 自分の行動に対して責任を持つ事も教育に依り得られたもの で有れば,自分の行動に対して反省する事も同じ教理である.

自分の行動に対して反省をしない人間は単細胞動物の屑であるゴミ焼却場 (火葬場)にて焼却してしまうのが順理のハズである. 教育を受けた人間で有れば,それ相応のエライ待遇を受けたければ, 純白な心構まえで良心に恥じない反省と共に非難された行動に対し て率直な謝罪をするべきであり,ホンの少しでも非難されるオソレ の有る言動はドンナ事が有っても再び犯さない心構えと実行が 無ければならない.

強剛乃是映禍之本 (強くて剛いのは[エラク見えるかも知らないが]禍いの本になる)
柔軟乃是立身之本(柔軟な行動と優しい態度は[ヨワムシに見えるが]立身の本になる)...

恨(怨)が有れば仇き討ちに連ながり,仇き討ちは連鎖反応を呼ぶ事になる. その連鎖反応は原子爆弾よりもコレがコワイものである教理を祖父は シッカリと私の頭の中に入れてくれた. 恨が有る奴とか,不平の有る奴であるとの理由だけで,それらを殺 し尽くしてしまえば,果たして天下は泰平になり,それが保障される か?. 保障されたとしよう.果してそれが何時までも子孫萬代までもほ んとうに長持ちするだろうか?.忠臣臓で有名な赤穂の47浪士の 仇き討ちが雄弁しているではないか?.ドンナ事が有っても絶対に 仇き討ちをしてはイケナイ.

仇き討ちの結果は双方共に全滅(玉砕とは意味がマッタク違う)を 免かれないからである. 天皇陛下の為に云云の理由で他国民を殺傷する事も絶対に有って はならない. 日本人の軍閥の家来どものムチャクチャなチンピラたちに警告する. 原子爆揮に依り催促された真心からの反省を無視してアバレたら, 今度は限界の計り知れない天罰がオソロシイ反省を要求された時にも, それを無視出来るのか?. 今からでも遅くないから熟考するがよい.

中国の或る教科書(?)の中に読んで見るだけでも少しは得に成りそうな文句が有った.

天遣魔君殺不平 (天は オニの王様を派遣して 不平の有る奴をイッピキ殺させた)

不平人殺不平人 (そうしたら 不平の有った人が 他の不平の有る人サマを殺した)

不平又殺不平者 (そこで 他の不平の有る奴が その他の不平者をまた殺した)

殺尽不平方太平 (不平の有る者を 殺し尽くすと 天下は 太平になる方法だ)

腰を据えて,ジックリと,良心に恥ない,常識が通じる方法で,深思熟考する必要が有る文章で有ると思う. 仇き討ちがイケナイ事は既述した. ツマラナイ切腹(ハラキリ)を美化して居るのが, 日本人だけの伝統である様だが絶対にしてはイケナイ. 生命の尊巌を知らない行動で有る. 自然界のアラユル生命は尊重されなければイケナイ. ”不平分子だから殺す”とは萬物の霊長と言はれる人間サマの行動である, と感違いしてはイケナイ. 殺生を業とする特権を持つ人間サマは,この世には絶対に無い. これを書いている間も精神不安と消化不良と一緒に不眠症で相当苦しめられた. まだまだ,長篇小説を何冊でも書いて余る位の資料は有るが今回はこれ位にしたい.

 


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