4月9日号の創刊号以来書いてきました「ソウル便り」も今日が今年の最後になります。
私がサラリーマンとしてソウルで生活し、見聞した事柄を報告して来ましたが、
一年の終わりにあたり、もう一度読み返して見ると、すでに状勢が変化していることもあり、激動する韓国社会らしいと感じることも多いです。
自分自身で読み返してみて、つまらないものも多いのですが、最近の「IMF時代」の状況を見ると、
創刊号で私が訴えたことが正に的中してしまったと思います。 韓国に経済危機をもたらしたものは技術の側面からだけではありませんが、
日本と同様に「天然資源に恵まれず」、「工業立国」を国是としているならば、
もっと、もっと「技術を大切に」してほしいと思いました。
前置きが長くなってしまいましたが、ご承知のように韓国人からはまだノーベル賞受賞者が出ておりません。
しかし、何時かは出現するでしょうから、私の「当たらない競馬予想」と同様に「無責任予想」をしてみました。
冒頭に書いたように韓国では科学/技術が絶対的に必要とされる社会ですので、この分野から最初の受賞者が出て欲しいとの期待も込めています。
最近はノーベル賞自体の評価について、以前のように「神格化」されない、「政治の影響を受けている」、
「欧米中心」などの議論が盛んですが、ここでは来年以降の運勢を占う「お遊び」として書いて見ます。
韓国では伝統的に東洋医学も強く、この分野で受賞者が出るのを中国と争うかも知れません。
医薬品は何回も報告しているとうり、日本では売られていないような強力な薬が街で売られているし、 日本の承認システムよりも簡単なのではないでしょうか。 承認が簡単なことは副作用の評価の厳密さを欠きやすく、社会的なリスクが大きくなる弊害が出やすくなりますが、 開発側から見れば自由度が大きく、活発な研究開発活動が期待でき、進歩には貢献するのでなないでしょうか。
2.ノーベル賞の審査員は欧米人が中心です。 彼らに理解させるためには、翻訳の名人が必要でしょう。 もし翻訳できたとしたら、原作者でなくて翻訳者こそノーベル賞に値するのではないかと思います。
私見ではありますが、韓国社会がこれだけ工業化したにもかかわらず、今なお前近代的なものを色濃く残しているのは、 第一に「儒教」であり、第二に「文字がハングルだけ」が原因と考えています。
年末にあたり、新年以降を占うものとして、景気のいいことを書きたかったですが、 そんなに甘くないですね。
それでは読者の皆様も良いお年をお迎え下さい。