1997年4月9日号(創刊号)

技術移転について


私が初めて韓国を訪れたのは21年前です。
当時は地下鉄の1号線がソウル駅と清涼里間を営業開始したばかりで、 国産車第1号として技術史に記録される「現代ポニ−」が発売された ころでした。 ジウジアロ−の手になる外観は小型車としてよくまとまっており、 軽量のボディ−のわりには1300ccの強力なエンジンのおかげで、 渋滞が今よりは少なかったソウルの街を軽快に走っていたのを覚えています。

当時は技術移転が叫ばれており、私の出張も光通信関係の技術移転が 目的でした。 この話は別の機会に譲るとして、技術移転の 観点から「現代ポニ−」及びその後の発展について書いてみます。
「現代ポニ−」についてこちらの人と話したところ、以下のようだった と記憶しております。

現代自動車の提携先は三菱自工で、部品はキャブレタ− 以外は国産化を完了している。

エンジンはランサ−に使っていたOHCエンジンを国産化 していました。 つまり、韓国の国産車は第1号からOHCエンジンを 使っており、世界の最先端の技術を持っていたのです。 ちなみに当時、 日本で売れいきが良かったトヨタコロナはまだOHVエンジンでしたし、 世界的に見ても量産車にOHCエンジンを搭載していたのは日本とドイツ など少数派だったのです。

現在の韓国は人口が約4700万人に対して自動車保有台数は 1000万台近くにもにも達しており、朝夕のラッシュアワー がソウル名物と言われるほどの自動車王国になりました。 しかも、そのほとんどが国産車(統計によると95%となっているが 私が街で実感すると99%くらいに思える)と言う、世界でも類を 見ない国です。

20年以上前に世界最先端のエンジン技術の供与を受け、現在これだけ の量産をしていながら、独自開発のエンジンの種類はまだまだ少ない のではないでしょうか。 2〜3年前のショーで独自開発第1号 エンジンが展示されていたばかりです。

日本のことが何でもいいと言うつもりはありませんが、自動車と 技術供与の実例として戦後の日本の自動車産業の歩みは好例と 思います。
以下に各社と技術提携先を示しますが、いずれの提携も10年 以下だったと記憶しています。 その後は各社とも自力で開発 してきました。

いすゞ −> 英国、ヒルマン
日野 −> 仏国、ルノー
日産 −> 英国、オースチン
トヨタ −> なし
本田 −> なし
マツダ −> なし
プリンス −> なし

この表を眺めていると、技術提携しなかった会社の方が現在の 経営状態の良い会社が多いことは偶然には思いません。 提携しなかった会社のエンジニア達は貴重な外貨で車を買い、 徹底的にリバースエンジニアリングして、ついには元と同じか それ以上のものを生み出したと想像します。 苦労して身に付けた 技術はその後の発展も見込めることを物語っています。

私は韓国に友人も多く、好きな国の一つですが、今なお技術移転を 主張している人々にたいして、あえて苦言を呈したい。

「技術供与を声高に叫ぶのは政治的な手法としは有効かも しれないが、それだけではいつまで経っても乗り越えられない ことに気づいて欲しい」

あとがき

創刊号からきばって書いてしまいました。 慣れてくれば肩の ちからも抜け、もっと読みやすい文章になってくれるものと 期待してます。 今後とも、ご愛読ください。


目次に戻る