1997年6月29日号

平和大行進


6月25日は47年前に朝鮮動乱が勃発した日です。 それを忘れないために今週はいろいろな行事が催されています。 街には同じ民族が争った悲惨な写真が張り出され、TVでは特別番組が放送されています。

6月28日の土曜日には、特別行事の一つとして、「平和大行進」が開催されました。 これは板門店の近くにある「臨津閣」(脚注参照)までを三つのルートで行進するものです。 三つのルートとは、「統一路」、「自由路」、「平和路」です。 どのルートも道幅が広く、ことが起これば、直ちに軍用車両が通行可能です。 逆に、攻め込まれた場合を想定し、大きなコンクリートブロックを落下させ、 簡単に遮断できるようになっています。 臨津閣や板門店に行くには、必ずどれかのコースを通ります。 自由路を通った場合は、途中に漢江の河口部分の岸を通過しますが、対岸は北朝鮮なのです。 北朝鮮側、韓国側ともお互いに大きな看板を出して、プロパガンダしています。

TVニュースによれば数万人が行進に参加し、ミス・Koreaも行進してました。 臨津閣の近くにある「鉄道中断点」(脚注参照)までは特別にSLが運転されました。 TVの特別番組で長時間の実況放送が行なわれました。 番組の途中には戦争中の実写フィルムが映されましたが、 乳母車もなにもない状態で、母親が小さな子供を南京袋に入れ、紐を付け、 引きずって避難する様子などが映されました。


ドイツが統一され、分断国家は朝鮮半島だけになりました。 南北に親戚が分かれてしまった「離散家族」が今なお、韓国には800万家族あるそうです。 サイパンに一緒に行ったI氏の両親も動乱時に北から逃避してきた人だそうです。

以前、報告した「タルトンネ」も北から避難してきた人々が多く住んでいたとのことです。 何も持たずに命からがら逃げて来たのですから、そんなところにしか住めなかったのでしょう。

朝鮮動乱が終わった時(正確には終わったのではなく休戦。 現在もその状態のまま)、 韓国には発電所が2箇所しか残っていなかったそうです。 それから44年経ちました。 タルトンネはほぼ消滅し、韓国型原子炉を持つまでに至ったのです。

人類の長い歴史の中で44年なんて、ゴミのような時間ですが、これだけの大変貌が可能なのです。 逆に、滅亡する時も速いのでしょうね。


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臨津閣

休戦ラインの南北、各2kmは非武装地帯ですが、 韓国ではさらにその南2kmくらいは一般人の立入りを禁止しています。 一般人が特別の許可無く行くことができる、 もっとも板門店に近い最北端に臨津閣という施設があります。 近くには屋外展示場もあり、当時の戦車や飛行機が展示されている。

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鉄道中断点

日帝時代に開通した半島縦断鉄道(釜山−新義州)が南北分断により、 臨津閣付近で中断されている。 そこにはSLが置いてあり、「鉄馬(SLのこと)は走りたい(昔のように新義州まで)」と書いてある。 南北統一を祈念する象徴的なモニュメントである。

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