2・28記念館

2・28記念館前で記念撮影。

1930年12月完成の元台湾放送局(コールサイン:JFAK)の建物を使っている。

放送局時代の説明資料。 吹き抜け構造になっており、南国ムードが出ている。
二二八記念館の沿革(入場パンフレットより転載)
   本館の前身は日本人植民者が1930年12月に完成させた台北放送局庁舎です。 戦後、国民党により接収され、台湾ラジオ局になりました。 1947年 二二八事件発生時は、このラジオ局が党政軍関係者の制令を伝える機関として、また民衆代表による事件の処理状況の報告機関として重要な役割を担いました。   さらに1949年、国民党政府の台湾への撤退に伴い、中国ラジオ社として使われ、1972年に中国ラジオ社の新社屋が完成すると、台北市政府に返還され、台北市公園街路灯管理事務所となりました。  1996年、市政府はこの建物の二二八事件時における重要性と歴史的意義に鑑み、台北市二二八記念館の設立場所に選定、1997年2月28日の二二八事件五十周年をもって正式に開館しました。

テロ検査(二二八事件)力軍作

力軍:本名 黄榮燦。 1945年に中国大陸より台湾に渡って来、時の省立師範学院(今の台湾師範大学)美術科で教鞭を執る。 自分の目撃した2・28事件の模様を木版画にして表現し、”恐怖的検査(台湾二二八事件)”というテーマで、1947年4月28日に香港の文匯報に発表。


 
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