石門古戦場(西郷従道軍と原住民の戦い)  


 
 
 

清時代、同治10年(1871年)、琉球の漁船が台風で台湾南部に漂着した。 台湾原住民は乗組員多数を殺害した(牡丹社事件)

この事件は、明治政府と清政府の間で国際紛争処理が終わりに近づきつつあった1874年、西郷従道(西郷隆盛の弟)は軍隊を率い、台湾に攻め入った(征台の役、1874年)。 台湾原住民は四十渓温泉上流の川の両岸に山が迫り、隘路となっている当地で待ち受け、西郷軍と戦った。 地の利を生かした戦法も、投石/落石や槍/刀では、大砲など近代兵器の前には無力で酋長をはじめ多数の原住民が殺された。

日本による台湾併合の20年前の、明治維新から間もないこの時期に於いて、すでに領土拡大の野望が見て取れる事件である。 しかもこの時期は、琉球が完全に明治政府の支配下に入っていたとは言い難い時期である。

この石碑は2000年秋に建立された新しいもので、近くには西郷従道が建てた石碑があるとのことであったが、台座の跡らしき痕跡しか認められなかった。

 


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