2001年11月19日号

1911年のソウル地図


 ヤフーオークションを眺めていたら珍しいものが出品されていたので衝動的に落札してしまいました。

「(復刻)朝鮮駐箚憲兵隊司令部刊 京城龍山市街図1911年」と言うもので、8000分の1です。 題名からして現在の龍山駅付近だけかと思っておりましたが、ソウルの旧市街全部が網羅されていました。 1911年は日韓併合の翌年です。 

 写真ではわかりにくいが、写真の上半分強が丸く囲まれています。 これが城壁です。 東大門、西大門、南大門、北門のすべてが城壁の線上にに位置しています。

以下、私が気がついたことを列記します。

洞は現在よりも面積が小さく、150m四方くらいの地域を指している。

現在の「洞」くらいの面積は「坊」となっている。 「安国坊」、「会賢坊」などの標記が見られる。

路面電車は龍山から東大門まで、南大門、鐘路経由で走っている。

鉄道はすでに釜山から京城まで通じていて、北端は西大門で切れている。

 地図右下の表は、総督府要人の住所録になっている。 ちなみに筆頭者は「総督:寺内正毅、住所:倭城台、電話番号:823」と記載されている。 その他、私が知っている名前として、「明石元二郎」が司令官として記載されている。 7年後の1918年に台湾総督になった人である。 彼の遺骨は台湾に埋葬され、墓は今でも台湾にある。 

        
               

  

 以下の2枚は、南大門付近の1911年と現在の比較です。 ほぼ同じ倍率になるようにしてみました。 「韓国銀行」が現在と同じ名前で、同じ場所にあることがわかります。 現ソウル駅は「南大門停車場」とよばれていたようです。 徳寿宮の敷地は現在よりも広く、現在の市庁前のロータリーも敷地内であった。

 


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