1999年11月3日号
日野啓三著、「風の地平」
中央公論社、昭和51年4月20日発行


 
「引揚者の文学」というコトバも最近は死語化しておりますが、後藤明生氏の逝去を機に、もう一度この世代の人の書き物を見てみたくなりました。

戦前、戦中を朝鮮半島に住んだことがある日本人は相当な数に上っており、図書館で丹念に探せばかなりの書き物を探すことができます。  しかし、高齢化しており、やがては忘れ去られていくものも多いのでしょう。 読んでおくのは今のうちという気がします。

日野啓三氏は芥川賞作家であるのはもちろんですが、現在は選考委員でもありますので、その作品は末永く読まれ続けることでしょう。

著者は銀行員であった父の勤務に伴って戦前、旧制中学生までの10年間を大邱、京城で過ごした。  社会人になってからは新聞記者になり、1960年頃、ソウル特派員として勤務し、そこで知り合った韓国女性と結婚した。 本書には以下に示す6編の短編が収録されており、韓国から嫁いで来て12年になる妻と小学生の息子の3人家族のことを、私小説の形で著したものである。 いずれも 1975〜1976年頃に書かれたものであり、芥川賞を受賞した時期の著作である。

 
1.ヤモリの部屋 2.空中庭園 3.天堂への馬車代
4.霧の参道 5.彼岸の墓 6.風の地平
それぞれ日本と朝鮮での違った自分自身の歴史を歩んできた両者が日本で生活を共にし、日常生活の節々に現れる「文化の相違」にとまどいながらも、流れに逆らうわけでもなく、かと言ってお互いに自分のやり方を強制するわけでもなく、淡々と生活するさまが描かれている。

「風の地平」あらすじ
本書のタイトルにもなっている「風の地平」は、著者自身と思われる夫の五郎の目からではなく、五郎が息子を連れて広島の実家に帰郷している3日間の妻(京子)が描かれている。  結婚以来12年経過し、日本語には全く不自由しなくなり、同じ団地の住民も京子がソウル出身ということをほとんど知らない、全くの日本人になりきってしまっているが、夫と息子が家を空けてみると、なんとなくソウル時代のことも思い出す。 若い頃、ソウルで一緒に遊びぼけていた後輩が赤坂に高級韓国クラブのママをやっているので、初めて訪問した。 ソウルから来たばかりで日本語がまだ上手でないアガシ、日本人なのにチマチョゴリを着て接客するアガシ、韓国からビジネスで初めて来日しママから京子のことを聞き、「日本人と結婚した売国奴」呼ばわりする客・・・

翌日、五郎たちが飛行機で戻ってくる日であるが、台風で名古屋に着陸してしまった。  退屈な日常生活のはずであったが、退屈を持ち帰ってくる夫と息子の帰りを心配して待っている自分自身を発見する京子であった。


私小説と言えば著者の目から書くものとばかり思っていましたが、著者は妻の目から書いていて、しかも「現実にこういうことが起こりそうである」と感じさせる筆力は、さすがに後年、芥川賞選考委員になるだけのことはありますね。

日野啓三と同じ歳で、ソウルでの中学生時代には同じ工場に「勤労動員」された経験を持つ、かっての超流行作家、故梶山季之も韓国を題材にした作品を書いています。 「李朝残影」、「族譜」など、韓国で映画化/テレビドラマ化された作品もあります。

「読書の秋」でもありますので、「韓国フリーク」にとっては、今回のようなテーマの読書もおもしろいのではないでしょうか。



’99年の目次に戻る
呉 光朝HP掲示板に進む