2000年9月10日号A

ソウル出張報告A


 今年2回目のソウル訪問となりました。 今回は期間が3週間で、長かったのですが、仕事が忙しく、それほど観光はできませんでした。 それでも日曜日が2回あり、李正馥さんや友人たちとあうことができ、有意義でした。 為替レートは、到着したとき空港内の銀行で両替したら、丁度、10.0倍でした。 出張期間中、雨の日が多く、台風までやってきました。

概要 

日程 : 8月21日〜9月9日
宿泊地 : ソウル プラザホテル
仕事先 : 京畿道烏山(オサン)
通勤方法 : KNR京釜線

雑感1:

 IMF時代から回復し、街は以前のような活気を取り戻しているように見えました。 しかし、企業の経費引き締めは引き続き強いようで、期間中、何回か食事に誘って貰いましたが、恒例の二次会はありませんでした。 これでは韓国名物、ルームサロンも倒産だろうと思い、聞いてみました。 ところがどっこい、ベンチャー企業ブームとやらで、以前にもまして、盛んなようです。 客先が以前のように大企業の接待ではなく、新興のベンチャー企業関係者になったわけです。

ルームサロンの相場はインフレ化しており、7〜8人で行くと、1000万ウォンも珍しく無いとのことです。 一人当たり100万ウォン以上です。 私が住んでいた頃は、一人当たり30〜50万ウォンでしたので、かなりの高騰です。

雑感2:

 通勤はKNRで、ソウル駅から烏山まで、「ムグンファ号」(または「統一号」)に乗りました。 週末は少し料金が上がりますが、平日の座席指定で4000ウォンとは日本では考えられない安さです。 従業員の態度も丁寧で、終着駅のソウルで下車するとき、ホームで駅員がオジギし、挨拶します。 烏山駅で列車がわずか10分延着しただけなのにホ−ムの案内放送は、「テダニ・チェソン・ハムニダ(大変失礼します)」と言いました。 また、定刻にソウルに到着前の車内放送では、「今日も鉄道に乗車いただき、大変(テダニ)ありがとうございます。 列車は定刻にソウルに到着します」、と大変丁寧でした。

韓国人に話したら、日本と同様にKNRの民営化の話が持ち上がっているので、そのせいではないかと言っていました。

感雑3:

 訪問先の会社は全従業員数も多く、若い女性も多いですが、昼食時に社食で観察していると、茶髪(金髪)が増えてきました。 3年前には少なかったのですが、こういったところも日本大衆文化解放の表れでしょうか。 滞在中、Chage & Askaのソウル公演がありました。 最初の”C”をとると”Hage(禿)”になる、こんなことまで知っていました。

 口紅の色は、3年目は紫のようなドス黒いのが大流行でしたが全くすたれ、今回は真っ赤な色も含めて暖色系が増えています。

 雑感4:

 2002年ワールドカップは、官民上げて盛り上げようとしています。 市内、いたる所に横断幕が掲げられていますし、自動車に「2002 World Cup」と書いたステッカーを貼ったり、中にはメーカーの特別仕様車もあるようです。 まあ、これは「便乗商法」かもしれませんね。 IMF時代の時には、「IMF値段」と書いた張り紙がいたる所にありましたから。

 左の写真はプラザ・ホテルから市庁を撮したものですが、電光ニュースには「D:629(あと629日の意味)」と表示されていました。 それにしても、市庁前の複雑なロータリーは、現地の人でもなかなか思う方向に行けないものですよ。 この写真で右下から左上方向に走ってきて、私が撮影しているプラザ・ホテルの玄関に車を横付けするにはどうすればいいか考えてみてください。 いいクイズになります。
 
 
 
 
 
 



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