1999年7月25日号
台湾出張記

今年になってから3回目の台湾訪問をしてきました。
3月はグループでの台湾旅行、4月は出張で、今回も出張でした。 遊びではないので、好きなところに行けるわけではないですが、時間を見つけて以下のところに行ってきました。

日程
7月13日(火):羽田→台北(中華航空)、宿舎:Formosa Regent Hotel

7月17日(土):台北→ソウル(キャセイ航空)

客家料理
台湾ではすべての種類の中華料理が食べられます。 30回以上行ったことのある私もまだまだ全部を食べ切れておりませんが、今回は珍しい「客家」料理を食べました。

 
「客家」というのは漢民族なのですが、もともと「中原地方」に住んでいて、5世紀、あるいは9世紀とも言われる時代に戦乱を逃れて一団となって中国大陸を放浪した人々を言います。 独特の風習と言語をもち、代々優秀な人が出現することで有名です。 台湾でも国鉄の従業員の70%は客家人と言われ、まじめでよく働く人々として有名です。 現代のアジアの国々の元首クラスにも以下のように多数の客家人が活躍しています。
台湾:李登輝 総統
シンガポール:リー・クワンユー 元首相
中国:故ケ小平 主席
客家料理は材料をオイスターソースなどの中華料理のソースで炒めたものが多く、日本人に抵抗無く食べることができます。
 
台湾レッド・ロブスター
「レッド・ロブスター」と言うとアメリカで発祥したチェーンレストランと思われるでしょうが、こちらは純粋な民族料理店です。 この場合はアメリカのロブスターでなく、伊勢エビのことをさします。
 

この種の海鮮料理店としては、「ヘビ街」として有名な台北の「西華街」にある「台南担仔麺」が有名ですが、実はこの店のグループとして、より高級な店を繁華街に出店したのです。 その名も「紅龍蝦」と言い、吉林路45号にあります。 以前にも書きましたが、台湾の住所表示は日本や韓国と違って大変わかりやすく、 この住所と店の名前を紙に書いてタクシーの運転手に示せば、間違いなく到着します。

西華街の店と同じく、磁器製の食器はすべて英国製の「ウエッジウッド」を使って大変立派なものです。

フカヒレのスープも食べましたが、いい味がでていました。 

新発見が一つありました。 中華料理の材料としてナマコが使われます。 日本や韓国のようにサシミではなくて、煮て食べます。 台湾人に、ナマコのことを中国語で何というか聞いてみました。 「海参(ハイ・サン)」というそうです。 なんと、この漢字を見ていて、韓国語も同じことに気がつきました。 韓国語では「海参(ヘ・サm)」と言うのです。
 

再び228記念館へ
ソウルに移動する飛行機便が夕方だったので、午前中は228記念館に行って来ました。 今年になってから3回目の訪問ですが、何回行っても興味が尽きません。 今回は、係りの人の中に日本語を話せる世代の人が2〜3人いて、無料で案内していただき、より深く理解することができました。 当日は土曜日であったためか、「最近は日本人の訪問客が多い、今日も10人目くらいです」と言っておられました。 「日本人の来客が多いのはうれしいが、台湾の若い人は無関心で・・・」とも言っておられました。

 
ここでも新発見がありました。 最近のバイオ技術の発展はめざましく、DNA鑑定の技術が向上しております。 最近のDNA分析の結果、日本人のDNA分布は、東アジア系をほどよくカクテルした雑種だという意見が支配的になってきております。 同じように、台湾人のDNA分析研究がすすんでいるようです。 ご承知のように台湾には戦後、蒋介石と一緒に渡ってきた外省人と、それ以前の16世紀〜1945年までに移民してきた本省人、さらに先住民族である「台湾原住民」がいます。 本省人と外省人は渡ってきた時期が違うだけでどちらも漢民族ですが、本省人のDNA分析の結果、約80%の人に先住民族のDNAが混ざっているとのことです。 これは、以前より、風説として言われていたことですが、科学的に立証されたのです。

理由は、明や清の時代には女性の移民が制限されていたようで、台湾に渡ってきたのはほとんど男性だったのです。 そして、先住民の女性との通婚がすすんだためです。 現在、先住民族は9族、存在しているといわれますが、昔はもっとたくさんあったらしく、台北付近にも現在は消滅してしまった部族がいたそうです。

私に説明してくれたオジイサンも日本語が話せるので本省人でしょうが、しきりに「台湾人」ということを強調していました。 「外省人とは血が違う、先住民の血を引いているので、中国人よりも強いのだ」というようなことをおっしゃいました。 つまり、台湾の人に対して「中国人」と言うのは気分を害することがあるので要注意だということです。 このことは最近の李登輝総統の「中国と台湾は、国と国の関係である」との発言ともあいまって、DNA分析の結果が急速に台湾人に受け入れられてきたことの証でしょう。
 
 



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