1999年6月
ソウル旅行記4、日本が故郷

鷺路津水産市場で食事をしているとき、隣のテーブルから、チラチラとこちらを見るオジサンがいました。
彼らは3人のグループで、我々が日本語と英語で話しているので気になったのでしょう。 そのうち、英語で話しかけられました。  以下はそのオジサンとの会話です。

オジサン:あなた方の国籍は何ですか?

 
我々:日本人です。

 
オジサン:私は現在、満62歳ですが、大阪の淀区野田で生まれました。 終戦の時までそこで育ちました。  私の父親は(帝国)陸軍伍長でした。 私の日本名は「ハラモト***」です。 子供の頃、みんなから「まさちゃん」と呼ばれよく遊んでもらったものです。 日本人に会えて、ほんとうに懐かしいです。
「まさちゃん」はほとんど日本語が話せませんでしたが、漢字をよく知っており、英語と漢字の筆談で大いに盛り上がりました。 あとの2人は同じ会社の人で、47歳と60歳の人でした。 この年代の人は李承晩政権時代に徹底した反日教育を受けているので、日本人に対してはよく思っていない人が多いはずなのですが、全員、盛り上がってきてしまい、韓国流の乾杯の嵐でした。 ついには、「まさちゃん」は子供の時に習った小学校唱歌を歌い始めました。 「夕焼け小焼け」や「おててつないで」などです。
  

私が初めて韓国に行ったのは20年以上前であり、以来、何度も行っておりますがこのような経験は初めてでした。 創氏改名があったことは始めから知ってはいましたが、日本名を聞くのは大変失礼なことと思い、李正馥さんにただ一度聞いたことがあるだけです。 また、こちらが聞かないのに先方から日本名を言われた経験は一度もありませんでした。

「まさちゃん」は戦後、韓国で「反日教育」を受け、日本のことなど、とてもしゃべれない社会的な雰囲気の中で、長い間、一人で懐かしい思い出を胸にしまい込んできたことでしょう。 それから、50余年経過し、日本文化の解放の機運の中で、誰にもはばかりなく「おててつないで」を公衆の面前で歌えるようになったのでしょう。

日本と韓国の間には複雑な歴史がありますが、現在、書物に書き切れていない、当時の人間と人間のふれあいがあったのでしょう。  「まさちゃん」に会えただけでも、今回の旅行の大きな収穫です。

 



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