2002年2月2日号
台湾出張記


 今年から仕事を変わりました。 台湾の会社で、研修のために台湾に行って来ました。 2週間の滞在で、途中に週末があり、宿泊地の近くを観光してきましたので報告します。

日程: 1月20日〜2月1日。 このうち1/26と1/27の週末を利用して観光しました。

ホテル:南投県南投市 南投ホテル(集集大地震後、4ヶ月間休業を余儀なくされたが、すっかり回復していました)

 

1/26:行き先:鹿港民族文物館 

 利用した区間 

交通手段

料金(1元=約4円)

 南投

鹿港

タクシー

900元

 鹿港

彰化

バス

 72元

 彰化

集集

鉄道

 76元

 集集

南投

バス

 55元

1/27:行き先:水里

 南投

水里

バス

140元(往復)

 水里

鉄道

 30元(往復)

 

 バスの切符はコインの手持ちがあれば乗車時に車内で購入できますが、無い場合はバス停留所の前の店であらかじめ購入しておく必要があります。 筆談で購入することができます。

 

写真集

 

 

鹿港民族文物館:

 鹿港は台湾の中でもっとも早く大陸からの移民が入植した地域であり、すでに17世紀から鹿の皮などの輸出港として栄えた。

 本館は彰化県の鹿港にあり、19世紀に貿易で材をなした富豪の死後その遺産によって建設された。 外観はクラシックであるが、建設は1972年と新しい。 台風による浸水で大被害を受けたが現在は修復されている。 隣接した別館には富豪の住居を再現した建物があり、贅沢な調度を見ることができました。

 

台湾鉄路局 二水駅プラットフォームにある石碑:

 台北−高雄を結ぶ幹線から、有名な観光地である日月潭方面に通じる支線の「集集線」への乗換駅であることを示す石碑。

 単なる乗換案内であるが、立派な石碑になっているのは、台湾らしい。

 なお、「集集線」は大地震の震源地としてで一躍有名になった、「集集」、台湾一の美人の産地と言われている「水里」を経由し、最終駅「 」まで約30分の行程です。 二水駅から、単線で両側から立木が車窓に迫る中、ディーゼルカーが内陸部に向かって力強く登っていく様は、鉄道ファンならずとも、本当に台湾らしい景色でした。

 

 

二水駅近くの日本式家屋:

 駅の近くには数軒の古い日本式家屋が残っていました。 植民地時代の日本人鉄道従業員の宿舎だったのではないでしょうか。

集集線のディーゼルカー:

 観光地で小学生の遠足も多いのでしょう。 きれいに塗装された5両編成の車両が使われていました。 乗っていて傾斜を感じることができるような急阪を登るため強力なエンジンを搭載しているのではないでしょうか。

 

集集駅の隣に展示してあったSL:

 集集駅の隣には新しい博物館ができていました。 大地震で前の建物が破壊され、新しい博物館が作られたのではないでしょうか。 地震関係のみならず、台湾の古い写真も展示されていました。

 博物館の外には写真に示す珍しい形式のSLが展示されていました。 3気筒で、しかもピストンが上下に動きます(機関車の左側面にはピストンはありません)。 ピストンの上下動はクランクにより、線路と平行に配置されたプロペラシャフトを回転させます。

 プロペラシャフトの回転はベベルギヤー(傘歯車)により機関車のすべての車軸に動力を伝えます。 これにより登攀路線でも車輪が空回りしにくくしているのでしょう。

 

水里− 往復切符:

 無人駅ではないが、列車到着時に改札口に駅員がいなかったので切符を渡さずに持って帰ってきました ただし、車内検札はありましたので、改札を省略しているのでしょう。

 

 

水里駅待合室に開示してあった「公告」:

 この辺りは原住民が住んでいる地域が近くにあります。 左の公告の写真は、原住民が伝統的に製造/所持していた武器の製造、貯蔵、輸送、売買の禁止を伝えるものです。

 この辺りは、タイヤル族、ブノン族が住んでいる地域があるのではないでしょうか。

 



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