1999年1月1日号
北京旅行報告記

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。 このWebページは韓国関係ということでやってきましたが、今年は他のアジアの国々にも手を広げたいと考えています。 元日号はその第一段として年末に初めて行った中国、北京旅行の報告とします。

日程
12月24日−12月27日、成田発着の3泊4日でした。行き先は北京とその周辺だけです。

概要
JTBのパック旅行で、シーズンオフなのでしょうか、69,000円と割安でした。 北京ではソウルと違って自由行動が難しいいのでしょうか、まったく自由行動時間がなく、3食、マイクロバス付きの、すべて「おまかせ」でした。 おかげで怪しい場所の探検はできませんでしたが、今回の旅行で北京の様子がわかりましたので、次回からは独力で、自由行動の多いパックに加わってみたいと思います。

万里の長城
旅行に行く前に書物で簡単に中国の歴史を復習してみましたが、一言で言えば、有史以来、漢民族と満州民族/モンゴリアンとの覇権争いの連続だったと言えるでしょう。 万里の長城は、月から見える唯一の建造物として有名ですが、最初の建築は紀元前に行われたようです。 明の時代に現在残っている形までに完成させられました。 これだけの労力を費やし、北方民族の侵入を防いできたのですが、その崩壊はあっけなく訪れました。 物理的に破壊して北方民族が侵入したのではなく、清と内通した明帝国の内部の人の寝返り(裏切り)により、長城の端にある山海関が開けられ、清の軍隊が侵入してきたのです。 いくら堅固なハードウエアを造っても人心を把握しなければ弱いことの実例でしょう。

北京市は日本の四国ほどの面積があり、その中にいくつかの「県」があります。 東京都を大きくしたような感じで、23区内と都下の関係に似ています。 以下の写真は北京市街地から80kmくらい離れたところにある「 八達嶺」の万里の長城です。

八達嶺の長城
ライトアップした長城。 冬場は土日のみのライトアップだが、今回は我々のために特別に実施してくれた。

景山公園
紫禁城の北隣にある景山公園は、明帝国最後の皇帝が農民一揆と清の侵入で、「もはやこれまで」と紫禁城から避難し、自害した場所です。 小山に登ると南北1km、東西700m(72万平米)の世界最大の皇居が一望に見渡せます。

明を征服した清は、新たな大建築物をそれほど造らず明の建築物をそのまま活用する政策をとったようで、北京市内には清時代の建築物は少ないです。

景山公園の頂上からスモッグに煙る紫禁城を望む。
明の時代から清の「ラストエンペラー」までの500年間、約30代の皇帝が住んだ皇居。

孝子廟
清は満州地方の女真族(数十万人)がその何十倍もの人口の漢民族を統治するために国家宗教的なものを推進する政策をとり、人心把握に努めたようです。 北京の孝子廟はその一例と思われ、山東半島にあった本拠に対して北京にも作られました。 孝子廟の隣には雍和宮と呼ばれるラマ教(チベットで盛んな仏教の一種)のお寺があります。

北京ダック
3食とも「おまかせ」でしたが、最後の夜は名物の北京ダックに連れていかれました。 食事をしながら舞台の鑑賞ができるところです。 北京ダックの料理法を見せるため、一羽だけ舞台の前で身を切取る実演をしてくれました。
後方の舞台の上は民族楽器の楽士。

休日の老人
土曜日の朝は天壇公園に行きました。
公園内には退職したと思われる何人もの老人が遊びに来ています。 空き缶に水を入れ毛筆で石畳の上に字を書いています。 気温が低いため、水で書いた字は直ちに凍結し、しばらく消えません。
珍しがって見ていると日本人と気がつき、頼みもしないのに、中日友好と書いてくれました。
さすがに漢字の国だけあって皆さん達筆でした。


台湾には25回くらい行ったことがありますが中国は初めてでした。 14億の人口と、経済成長率が7%台(昨年度)ですから今後の成長しだいでは日本もうかうかしておれませんね。


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