呉 光朝(韓国ソウル市在住、日本人)
私が李 正馥(Lee JungBok)さんと知り合いになったのはもう30年以上前のことである。 私の出身地が名古屋であることから、彼は、当初、懐かしいと言って、 地名や、彼が終戦後、韓国に帰国してからの名古屋の変貌についてよく話しあったものである。
ところが、「名古屋が懐かしい」と言った裏には、「椎名さんに会いたい」で述べられている
大変な経験が存在していたのである。
30年以上の付き合いになるが、ここに述べられていることを私が知ったのはごく最近である。
李 正馥さん自身も、生活に忙しく、思い出すチャンスも無く、50年の歳月が流れ、
忘却の彼方に消え去ろうとしていた。
ところが、たった一通の葉書をトリガーにして、被虐の記憶が鮮明に甦り、
別人のようになってしまった。
しかし、韓国に帰国後、祖父から受けた厳格な教え思い出すと共に、彼自身の強靭な精神力により、
今はすっかり、「別人」から回復されたことは喜ばしい限りである。
人間の脳の記憶のメカニズムの不思議さを思うと共に、 年少時に受けた暴虐が脳の中の記憶をより深く刻むのを実感した。
氏が「椎名さんに会いたい」の中で訴えたい事を要約するのは、これだけの「証言」 に対して大変失礼になるので割愛し、読む人自身が全文を読み取って、 将来に対して何らかの反映がなされるのならば、 インターネット掲載に協力した私自身の喜びとするところである。
また、椎名さんに関する情報が寄せられることを大いに期待している。
以下に、1995年に書かれた文章が、インターネットに掲載されるようになるまでの経過を述べるので、 読む時の参考とされたい。
誤認識した文字をテキストエディタにより原文と照合しながら修正した。 但し、修正過程で、JIS第1水準で同じ意味の漢字が存在する時は、できるだけ変更した。 同じ単語(漢語)なのに場所によって第1水準と第2水準で統一が取れていないのはこの理由による。 つまり、認識ソフトが正しく第2水準を読み取った場合はそのままとし、 誤認識した文字は第1水準を使って打ち直したものである。
HTML化は呉 光朝が行った。
最終的にネットスケープ上で、出来上がりを状態を李 正馥氏と共に確認の上、 承認していただき、サーバーにアップロードした。
認識ソフトでの誤認識を目視で確認したため、修正漏れがあるかも知れない点はご容赦いただきたい。 誤字にお気付きの節は呉 光朝までご連絡下さい。