1997年11月7日号

印象に残る言葉(台湾、その7)


「ソウル便り」であるにもかかわらず、台湾ばかりになってしまいましたので、今回で最終回とします。 私の報告は、「ソウル便り」もそうですが、行く先々で見たことや、出会った人々との交流から得られた生の情報を中心に書いております。 最終回に当たって、台湾の人から聞いた話で、印象に残っているものを紹介します。


本省人(約35歳)との会話(英語)
本省人:
「ミスター呉、会社の中で誰が外省人か判るか?」
呉:
「そんなの外国人の私に判るわけない」
本省人:
「AとBが外省人だ。 さいわい、私のボスのCは本省人だからいいが、外省人だったら大変だ。 彼らとは会社が終わってからも絶対に一緒に飲みに行かない」

「本省人はみんな日本が好きだ。 歴史の一駒が違っていたら、ここは今でも日本だ」

呉:
「ノー、ノー、そんなこと言っていいのか。 ここはあなた達の国だ。 私は韓国も良く知っているが、同じような状況にあった韓国の人でそんなことを言う人はいない」
本省人:
「昔の日本は、Koreaでも台湾でも、確かに悪いこともしたことは知っている。 しかし、日本は台湾を、Koreaと違って、日本(の一部)にしようとしたのだ。 それは大変いいことである」

林森北路の飲み屋の小姐との会話(日本語)
日本人4人で飲み代を割り勘で払おうとして、計算書を見ると3800元だった。

日本人:

「一人1000元づつだ」と、言いながら、各自1000元札をテーブルに置く。
小姐:
「うゎーー。 日本人って、いいねー。 みんな平等で... 台湾人同志ではこういう習慣はない。 必ず、誰か一人が払うのよ」
なお、彼女は原住民の中でも少数派である「パイワン族」です。 私は、原住民関係を展示している博物館(順益博物館、故宮のすぐ近く)を見学したおり、 この部族の民族織物の図柄が一番奇麗だと思っていました。 そのせいかどうか知りませんが、その飲み屋の小姐の中でも彼女の服装(洋服)が一番センスがあるように日頃から思っていました。 「たまたま」なのかも知れませんが、私には伝統が生きているように思いました。


今日の話は、たまたま出会った人との会話ですから、台湾の平均的な人の考え方と違うと、思われるかも知れませんが、 私は、この他の経験を合わせてみても、台湾人の平均的な話と理解してます。

今日の話だけ見ると、本省人、外省人、原住民の仲が悪いように見えるかも知れませんが、 ここ数年の「台湾意識」の高揚と共に急激に改善されてきていますので、誤解の無いようにお願いいたします。
2年前の総選挙の時、たまたま2ケ月ほど台湾にいましたが、台北地方区にはちゃんと「台北在住原住民」として 2議席が確保されているのを見て感心したものでした。 これを、全台湾人融和化の実例の一つとして、申し添えておきます。


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