1997年11月3日号

台湾の言語(台湾、その3)


台湾で使われている言語は何か? 「中国語に決っているじゃないか」と、言う声が聞こえて来そうですが、 そう言うことを言う人は《トーシロ》です。 中国語には100種類もの分類があると言われており、 文字は一緒ですが発音がかなり違い、会話できない場合が多いのです。 台湾のTVでは中国語のセリフの番組であるにもかかわらず、漢字の字幕が出ているのはそのためです。

台湾での中国語
「概要」で説明しましたように、約400年前から大陸からの入植が始まりましたので、 入植者の多数を占めていた福建省の言葉が支配的になり、それをベースにした、今日では「台湾語」と言われている言語を日帝時代まで使っていました。 ところが、日本の撤退後、蒋介石が率いる国民党の中華民国に返還されてから、国の支配層を外省人が占めるようになり、「北京語(マンダリン)」が公用語として規定されました。 それ以来、学校では北京語を教えています。

本省人(国民党以前から台湾に住んでいる人たち)と外省人(国民党と一緒に移住してきた人たち)との比率は約7:3で、 本省人の方が多いのですが、数年前まで続いた国民党の一党独裁により、政府、基幹産業の主要なポストは外省人に占められていました。 国民党は今でも国会議員数が一番多い「第一党」で、与党ですが、現在は野党も認められ、 あと二つの野党があります(その他の小会派もあるかも知れませんが、知りません)。

役所や会社内では公用語である北京語で会話をします。 ところが、本省人の数の方が多いですから、仕事後、仲間同志で一杯飲みに行ったときなどは、 台湾語になることが多いです。 もちろん、家に帰って家族との会話は台湾語です。 ところが、女性は仕事以外でも北京語を喋ることが多いようです。 女性は、一地方言語(中国人として)である台湾語よりも標準語である北京語を喋った方が、カッコイイと思う意識が働くことが多いようです。

最近の経済発展により、「大陸反攻」の意識は少なくなってきており、台湾自身の文化を大切にしようとの風潮も出ています。 この線に沿っているのでしょうか、ラジオやTV番組でも台湾語の放送時間が約30%?(記憶が不確か)割り当てられています。 また、国会で台湾語で質問した野党議員がいたそうですが、さすがに外省人議員の中には判らない人もいたようで、 今はできないようです。

なお、台湾の人の話によりますと、現在の日本語の漢字の音読みは、台湾語に近いそうです。 共に中国の唐の時代の発音が多いようです。 それに対して韓国語での漢字の発音は北京語に近いように思います。

中国語以外の言語
台湾語も北京語も話せない人達がかなりの年輩者のなかにごく少数います。

先住民は現在では9つの部族が残っていると言われていますが、各部族の言葉は違うために部族間では通じないそうです。 その内のいくつかはマレーシアやインドネシアの言葉に近いと言われていますが、文字がありませんので、 日本のアイヌ語のように、いずれは消滅の運命にさらされるのでしょう。

日帝時代には山奥に住む彼らのところまで学校や警察の駐在所が設けられました。 従って、この時代に生まれた人々は学校で習った日本語が読み書きできるのです。 彼ら自体の言葉も話せるのですが、 文字がある有利さが活かされ、今でも日本語を日常的に使っている村落があるようです。 戦後に生まれた人々は学校で北京語を習いますので、問題無いですが、年輩者(約80歳以上)の人は自分達の言葉と日本語だけです。

台湾中部の南投県にある「九族文化村」は彼ら先住民の文化を展示しているものですが、 実際の部族の人達の生活も動態で展示されています。 私が訪れたある一つの部族のブースではお年寄りが伝統的な織物を作っていました。 近付いて行くと、彼ら同志が日本語で喋っているのが聞こえてきました。 「いつも日本語で話しているのですか」と聞いたら、「口があるからね」と答えました。 続けて、「私の息子も日本語が話せるので、今、日本に行って働いている」と、言いました。

昨日、報告しました林森北路の飲屋でも先住民の小姐だけで統一した店もあります。 おじいさん、おばあさんの時代から引き継いだ、「日本語が話せる有利さ」を発揮しているわけです。 部族によって違いますが、人種的に中国人ではないので、彫りの深い顔立ちの部族の小姐もいて、 なかにはハッとするような美人がいます。

9族の中で人口が一番多いのがタイヤル族です。 100年位前までは成人男子になった証拠として首狩りを義務付られていたようです。 有名な「霧社事件」を起こしたのもこの部族です。 最初の暴動が発生した小学校に行ったことがあります。 70数年前に蛮刀を持ったタイヤル族の集団が小学校の運動会を襲撃し、日本人多数を殺害した惨劇の現場は今は何事もなかったように、のどかな山村でした。
飲屋でこの部族の小姐に会うことがありますが、彫りが深く、精悍な顔つきの美人が多いです。 彼女らがバリッとした最新ファッションで決めた姿で隣に座ってくれると、楽しいものです。 わずか100年前の祖先が首狩りをしていたのですが、別に気になりません。 日本人だって400年前の関ヶ原の合戦で、敵の大将の首を切っていたのですから。

彼ら先住民のことを戦前の日本人は「高砂族」と呼んでいましたが、それ以前は「生蕃(せいばん)」と呼びました。 昭和天皇が「同じ人間であるのに酷い呼び方ではないか」と、高砂族と命名したそうです。 そのような履歴があるせいでしょうか、今でも彼らを「高砂族」と呼んでも、差別語では無いようです。 でも、「(台湾)原住民」と言う現在の正式名で呼ぶのが礼儀でしょう。


日帝が行なったことを全て美化するつもりはありませんが、教育と言うものがいかに大きな影響をもたらすかを実感できます。 逆に、間違った教育を受けると、本来の自分の力を発揮しにくい、と言うことも言えるでしょう。


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