1997年11月1日号

台湾雑感(その1)


このホームページは「ソウル便り」ですので、焦点がボケるといけないと思い、外国のことをあまり書いてきませんでした。 しかし、台湾は同じく「日帝時代」を経験しており、韓国との類似/相違を考える上でも参考になると 勝手な理由を付けて、少し書いてみます。 一切の参考文献を持ってきておりませんので、全て記憶になってしまいます。 間違いに気が付いたらお知らせ下さい。


台湾概要

面積/位置:
九州と同じくらいの大きさで、香港よりやや北の、中国大陸福建省の沖合180kmくらいのところに位置する。 丁度、島の真ん中あたりを北回帰線が横断している。 日本との時差は1時間(日本が午前9時の時、台湾は午前8時)。 DST(サマータイム)は実施されていない。

首都:
台北(タイペイ)。 人口:約200万人。 面積、人口ともソウルよりはかなり小さな都市です。 地下鉄は工事中で開通してないので、外国人の移動はもっぱらタクシーになります。 タクシー代はソウルの普通のタクシー(模範タクシーでない)と同じくらいで、日本よりはかなり安い上に、 都市が小さいので、走行距離は出ません。 また、乗車拒否や大回りもほとんどありません。

人口及び民族:
約2500万人(?)。 大半が中国人(但し、中国人の中にもいろいろな民族がおり、詳しくは知りません)。 その他、中国人が台湾に入植するずっと昔から先住民が住んでおり、現在でも数10万人いる。

歴史:
約400年前、それまで先住民しか住んでなかった未開の島に中国大陸から入植が始まる。 先住民と中国人の争いはかなりあったらしい。 さらに、東インド会社を設立したオランダ、倭寇の日本人、 などの入り乱れた争いがあった。 結局は清国の領土となる。

日清戦争に勝った日本は清国から台湾を割譲させ、植民地化する(1895年?)。 従って、日帝時代は韓国の36年よりも長い50年間続いたことになる。

日本の敗戦後、蒋介石の国民党が率いる中華民国に返還される。 その後、国民党は毛沢東が率いる共産党との内戦に敗れ、台湾に逃げ込む。 大陸で勝利した共産党は1949年10月1日に中華人民共和国が成立する。 朝鮮動乱で北朝鮮が北緯38度を突破して南に攻め込んだのが翌年の6月25日ですが、 これら一連の動きを偶然と見る方が不思議でしょう。 スターリンの「一つづつ、赤化する(ドミノ)」 野望が裏に潜んでいた見るのが妥当でしょう。

台湾ではこの時に逃げて来た人やその子孫を「外省人」、それ以前から住んでいた中国人を「本省人」、 先住民族を「台湾原住民」と呼び、かっては深刻な対立で、大きな社会問題となっていました。 でも、最近は良くなっており、以前ほどひどくは無いそうです。


日本の東北大学を卒業した、ある台湾人のコトバ:

日本人は台湾が好きだ。 戦後、日本が分断国家にならなかったのは、蒋介石とマッカーサーが北海道の分割占領を主張するスターリンを抑えてくれたのと、 蒋介石は、「日本も敗戦で大変だろうから戦争賠償金は要らない」と、言って請求しなかったからだ。

今日は固い話で申し訳ありませんが、予備知識を持っていないと、面白い話でも 「何故、面白いのか」が判らないからです。 次号からは硬軟とりまぜて書きますので、ご期待ください。


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