雪岳山旅行記
金曜日のPM9に突然、I氏(サイパンに一緒に行った友人。 ベンチャー企業の社長) から電話があり、社員旅行で全従業員が江原道束草(ソクチョ)に行っている。 自分は所用で遅れたので、 今から車で合流するが、一緒に行かないか、とのお誘いです。 勿論、OKで、準備もそこそこに集合場所に駆けつけました。 PM10に江南区のチョンダム洞を出発しました。 私はその前の2日間連続の深酒のためにとても交代で運転できる状態ではありませんでしたので、全てI氏の運転です。 車は「社長の車」としてのステイタスシンボルである「現代グレンジャー」です。
江南から漢江沿いを上流に向かって遡りました。 この道は道幅が広く高速道路なみの速度で走ることができます。
沿線には、洒落たレストランが建ち並び、急速に車社会に突入したソウルでは車による新しい外食、デートコースになっています。
しばらく走ると、漢江が二手に分かれます。 北漢江と南漢江が合流するところです。
その地名は、ズバリ、両水里(ヤンスリ)と言います。
この辺りまで来ると、郊外型レストランに加えてラブホテルも目立ちます。
私が最初にソウルに来た21年前にはラブホテルがありませんでした。
10年前には江南地区(私のアパートの近く)にラブホテルが出現し始めました。
その頃、新林洞地区もすでに有名で、実質的にはラブホテル的に使われていたようでしたが、名前は伝統的な「旅館」でした。
日本にラブホテルが出現したのは売春禁止法が施行されてから数年後ですから、すでに40年の歴史があります。
余談になりますが、ソープランド(その頃は「トルコ風呂」と言った)も同じ頃に出現しました。
この一例を見ただけでも、日本が40年かかったことを韓国は10年でやってしまったことが理解できるでしょう。
我々は南漢江に沿って走り、何回かダム湖を通過しました。 一番下流にあるダムがゲートを開けると、 1時間もしないうちにソウル市内の漢江の水位が上がり、2階建ての橋(名前を失念。 通称:潜水橋)の1階部分が水没するとのことです。
その後、睡魔に襲われ、寝込んでしまいましたが、気がつくとインジェ(麟蹄)の近くまで来ておりました。 途中、ヤンピョン、ホンチョン(洪川)を通過したして来たようです。 I氏曰く、「20年位前にこの道路は舗装されてなく、軍隊でインジェに配属されたら、地獄に配属されたと言ったものだ」、 とのことです。
インジェからはいよいよ雪岳山の山岳道路になります。 残念ながら、最終目的地が束草であるため、
有名な古いお寺があるルートは通らず、雪岳山の北側の道を通りました。
深夜でしたが、運よく満月だったために、険しくそそり立つ岩の断崖など、山岳風景を楽しむことができました。
峠には24時間営業のドライブインがあり、さすが、観光を売物にしている雪岳山国立公園と、
感心しました。
予定より1時間早く、AM2に宿舎の「クムホ・コンドミニアム」に到着しました。
まわりは駐車スペースを捜すのに苦労したくらい、大量の車です。
韓国では今や、一家に一台の自動車を持ち、余暇には車で家族旅行をするのが当たり前なのです。
この付近は新築のコンドミニアムがたくさんあり、しかも全て新しいのです。
泊まったところは8階建てで、「サイパンのリゾートホテルみたいだなー」とI氏と話したくらい、立派な施設でした。
クムホ・コンドミニアムはアシアナ航空が所属しているクムホ財閥の経営です。
I氏の会社では2000万ウオンで会員権を購入し、年間30日間、格安料金で利用できるそうです。
その他、ヨット会員権も購入しており、20人乗りのヨットを4時間、4万ウオンで利用可能とのことです。
韓国庶民の生活も急激にレジャーに熱心になってきたことが実感できました。
洛山の海水浴場は、西海岸の黄海と違い海水が透明で、砂も真っ白です。 近くに工業地帯が無いので汚染がないのでしょう。 浜辺には松の木が生えており、 まさに「白砂青松」の風情でした。 これだけ白い砂の海岸は日本では少なくなってしまっていますが、韓国にはまだまだ残っているようです。
今回の旅行記で、現在の韓国人のレジャーの一端が紹介できたと思います。 韓国社会は5年前とは大きく変化してきており、それほど特殊でも無い一般の人々が、 マイカーで家族旅行に行き、サイパンのリゾートホテルみたいな立派な宿泊設備に泊まり、 20人乗りのヨットに乗り、20万ウオンのイシダイの刺身を食べるのです。 若い恋人達は郊外の洒落たインテリアのレストランで食事のあとは、郊外型ラブホテルでひとときを過ごすのです。 それが良いのか、悪いのかの議論は別にしても、日本人よりも贅沢なオフタイムと思いませんか。 日本人も5年前、10年前の知識で韓国を語ることが間違いであることに気づいてほしいと思います。