1997年10月19日号

雪岳山旅行記


金曜日のPM9に突然、I氏(サイパンに一緒に行った友人。 ベンチャー企業の社長) から電話があり、社員旅行で全従業員が江原道束草(ソクチョ)に行っている。 自分は所用で遅れたので、 今から車で合流するが、一緒に行かないか、とのお誘いです。 勿論、OKで、準備もそこそこに集合場所に駆けつけました。 PM10に江南区のチョンダム洞を出発しました。 私はその前の2日間連続の深酒のためにとても交代で運転できる状態ではありませんでしたので、全てI氏の運転です。 車は「社長の車」としてのステイタスシンボルである「現代グレンジャー」です。

往路行程
束草は東海岸に面していて、38度線から約20Km南に位置します。 鉄道が無いため、道路か飛行機で行くことになります。 近くには韓国随一の山岳景色を誇る雪岳山(ソラクサン)国立公園、水が奇麗な海水浴場がたくさんあるところです。
ソウル−束草の通常の所要時間は5時間とのことで、到着予定はAM3です。 深夜であるので、路程が長い高速道路は必要無いと判断しました。

江南から漢江沿いを上流に向かって遡りました。 この道は道幅が広く高速道路なみの速度で走ることができます。 沿線には、洒落たレストランが建ち並び、急速に車社会に突入したソウルでは車による新しい外食、デートコースになっています。
しばらく走ると、漢江が二手に分かれます。 北漢江と南漢江が合流するところです。 その地名は、ズバリ、両水里(ヤンスリ)と言います。 この辺りまで来ると、郊外型レストランに加えてラブホテルも目立ちます。
私が最初にソウルに来た21年前にはラブホテルがありませんでした。 10年前には江南地区(私のアパートの近く)にラブホテルが出現し始めました。 その頃、新林洞地区もすでに有名で、実質的にはラブホテル的に使われていたようでしたが、名前は伝統的な「旅館」でした。 日本にラブホテルが出現したのは売春禁止法が施行されてから数年後ですから、すでに40年の歴史があります。 余談になりますが、ソープランド(その頃は「トルコ風呂」と言った)も同じ頃に出現しました。 この一例を見ただけでも、日本が40年かかったことを韓国は10年でやってしまったことが理解できるでしょう。

我々は南漢江に沿って走り、何回かダム湖を通過しました。 一番下流にあるダムがゲートを開けると、 1時間もしないうちにソウル市内の漢江の水位が上がり、2階建ての橋(名前を失念。 通称:潜水橋)の1階部分が水没するとのことです。


その後、睡魔に襲われ、寝込んでしまいましたが、気がつくとインジェ(麟蹄)の近くまで来ておりました。 途中、ヤンピョン、ホンチョン(洪川)を通過したして来たようです。 I氏曰く、「20年位前にこの道路は舗装されてなく、軍隊でインジェに配属されたら、地獄に配属されたと言ったものだ」、 とのことです。

インジェからはいよいよ雪岳山の山岳道路になります。 残念ながら、最終目的地が束草であるため、 有名な古いお寺があるルートは通らず、雪岳山の北側の道を通りました。 深夜でしたが、運よく満月だったために、険しくそそり立つ岩の断崖など、山岳風景を楽しむことができました。 峠には24時間営業のドライブインがあり、さすが、観光を売物にしている雪岳山国立公園と、 感心しました。
予定より1時間早く、AM2に宿舎の「クムホ・コンドミニアム」に到着しました。 まわりは駐車スペースを捜すのに苦労したくらい、大量の車です。 韓国では今や、一家に一台の自動車を持ち、余暇には車で家族旅行をするのが当たり前なのです。

この付近は新築のコンドミニアムがたくさんあり、しかも全て新しいのです。 泊まったところは8階建てで、「サイパンのリゾートホテルみたいだなー」とI氏と話したくらい、立派な施設でした。 クムホ・コンドミニアムはアシアナ航空が所属しているクムホ財閥の経営です。 I氏の会社では2000万ウオンで会員権を購入し、年間30日間、格安料金で利用できるそうです。 その他、ヨット会員権も購入しており、20人乗りのヨットを4時間、4万ウオンで利用可能とのことです。
韓国庶民の生活も急激にレジャーに熱心になってきたことが実感できました。

翌日の朝食
束草では「スン豆腐」が名物です。 街道沿いには「スン豆腐」の食堂が多数あります。 「KBS・TVで紹介された」などの看板も見えました。 どこに入るか迷いましたが、「元祖・スン豆腐」の店に入りました。
ソウルで食べるのと違い、自家製豆腐で、型に入れて四角く成形する前の豆腐です。 豆乳に「ニガリ」を入れ、凝固してきたところを網で掬ったものでしょう。 ダシには唐辛子が入ってなく、食べるときに自分で調味します。 「テンジャン(韓国の味噌汁)」が添付されてましたが、これもソウルと違い、中に「オカラ」が入っていました。 どちらもなかなかイケル味でした。

活魚料理
昼食はいよいよお目当ての刺身です。 束草の魚市場に隣接して活魚料理の食堂が軒を並べています。 看板には「ハルオ(活魚)」と書いてあり、店先の水槽には魚が泳いでいます。 以下の魚が目に付きました。

スルメイカ、カンパチ(魴魚:バンオ)、ヒラメ、タイ、ナマコ、ホヤ

カンパチを食べたかったのですが、刺身盛り合せには入っていませんでした。 残念だったのは日本の醤油を持ってくるのを忘れ、韓国の醤油だったことです。 韓国人の食べ方を見ていると、刺身用の辛子味噌にサイダーを混ぜて、流動性を高めるのと、 甘みを加えることです。 私はどうしてもそれをやる気になりませんでした。 あと、焼肉と同じで、野菜の葉にくるんで、食べることです。 当地は遠洋漁業の基地ではないのでマグロなど赤身のものはありませんでしたが、 出されたものは、さすがに新鮮なだけあって美味しかったです。 特にスルメイカのサシミは、これだけの味は日本ではなかなかチャンスに恵まれないと思いました。
帰り道に、水槽の中を25cmくらいのイシダイが泳いでいるのを見つけ、値段を聞いたところ、 20万ウオン(2万7千円)とのことでした。 クルビ(イシモチ)よりも高いので、韓国でも、やはりイシダイは魚の王様なのですね。

帰路
帰りは「洛山(ナクサン)」でシーズンオフの海水浴場の浜辺の休憩を楽しんでから、高速道路経由で帰りました。 土曜日のせいか、7時間かかりました。

洛山の海水浴場は、西海岸の黄海と違い海水が透明で、砂も真っ白です。 近くに工業地帯が無いので汚染がないのでしょう。 浜辺には松の木が生えており、 まさに「白砂青松」の風情でした。 これだけ白い砂の海岸は日本では少なくなってしまっていますが、韓国にはまだまだ残っているようです。


今回の旅行記で、現在の韓国人のレジャーの一端が紹介できたと思います。 韓国社会は5年前とは大きく変化してきており、それほど特殊でも無い一般の人々が、 マイカーで家族旅行に行き、サイパンのリゾートホテルみたいな立派な宿泊設備に泊まり、 20人乗りのヨットに乗り、20万ウオンのイシダイの刺身を食べるのです。 若い恋人達は郊外の洒落たインテリアのレストランで食事のあとは、郊外型ラブホテルでひとときを過ごすのです。 それが良いのか、悪いのかの議論は別にしても、日本人よりも贅沢なオフタイムと思いませんか。 日本人も5年前、10年前の知識で韓国を語ることが間違いであることに気づいてほしいと思います。


10月の目次に戻る みんなの落書き帳に進む