1997年7月27日号

テヘラン路


私のアパートの最寄り駅はソウルを環状に取り巻く地下鉄2号線の江南駅です。 駅は江南区を東西に横断する「テヘラン路」に面しています。 「テヘラン」はイランの首都の名前にちなんで命名されたとのことです。

ソウル旧市街地の道路名は歴史上の有名人物の名前に由来するものが多いのですが、 江南地区は新しく開発されただけあって昔ながらの農村や王族の保養地の名前を使っている場合と、 外来語を使っているようです。 もう一つの外来語の道路として「ロデオ路」もあります。

テヘラン路(写真参照)は1960年代から70年代にかけて、 イランをはじめとする中東地域に韓国人建設労働者が出稼ぎに行ったことに因んでいるそうです。 これに参加すると兵役が免除されました。 当時はこれらイスラム諸国との関係も強かったようで、 私が始めて韓国に来た1976年にはすでに典型的な丸屋根のイスラム寺院がHYATTホテルの近くにありました。 韓国人のイスラム教徒もいるとのことでした。

この頃までの韓国は、現在の韓国人自身が認めているように、 北朝鮮との経済比較は韓国の方が下だったのです(現在は逆転して、20:1になっている)。
ところが、

韓国軍のベトナム戦争への派兵、
日韓条約締結による5億ドル、
上記、中東での建設工事への出稼ぎ、
キーセン観光、ウォーカーヒルなどの観光収入(おっと、、ここまで言うと怒られるかな?)
による外貨獲得及びそれを社会資本として再投資(例えば浦項製鉄所、POSCO)したことが、 劇的な効果を生み、韓国は「Take Off」したのです。
これらは朴 正熙大統領時代に行なわれたものです。

最近の「朝鮮日報」に「朴 正熙シンヂィローム」という特集記事がありました。 最近行なわれた与党「新韓国党の大統領候補選挙」で7人の候補者全てが朴大統領の業績を讃え、 そのような政治を行ないたいと公約したからです。 この点について会社の同僚に聞いてみましたが、意外な答えが返ってきました。

その頃に韓国経済がTake Offしたのは確かだ。 しかし、それを全て朴大統領の成果にしてもらっては国民はたまらない。 教育程度も上がり、熱心に働く、全国民の力が蓄えられてきた時期であり、 誰が大統領になっても成功する時期に来ていた。

ミスター呉は「その後の全大統領、盧大統領のように巨額の賄賂を受け取らなかった」 と言うが、その時代は国民の権利が抑圧されていて、もちろん「知る権利」も無かった。 だから「賄賂を貰ったかどうか判らない」だけである。

私(同僚)は、国民の権利を抑圧したことをマイナス評価し、朴 正熙大統領を「良かった」とは思っていない。

同じような意見はサイパンに一緒に行ったI氏からも聞きました。 ともに大学院卒業で40歳前後の社会の中堅インテリ層の意見として、興味深かったです。 韓国人のなかでもいろいろな意見が言えるようになり、朴大統領時代とは違って来ているのは確かです。


テヘラン路ができたのも、朴大統領時代も、わずか20年前のことです。 この20年間の韓国社会の変化は日本の50年にも100年にも匹敵するでしょう。 隣の国でありながら日本から見ていたのでは、なかなか判らないものです。 どうしても通説に流され「ステレオタイプ」でしか見えなくなってしまいます。 ちょうど20年前の日本が欧米から「チョンマゲ、芸者ガール」としてしか見られてなかったように....


7月の目次に戻る みんなの落書き帳に進む