1997年7月13日号
独立記念館


昨日の土曜日(7月12日)は、トホホさんの車で忠清南道、天安にある「独立記念館」に行ってきました。 国鉄、京釜線で水原からさらに1時間位南下した所ですが、 天安駅からタクシーに乗ると韓国人でもメーターどうりの料金ではすまないところだそうですが、 高速道路で行くとインターチェンジからすぐ近くで、便利なところです。

敷地面積、120万坪(韓国では日帝時代の影響で、日本式の「1坪=3.3平米」が使われています。 これは台湾でも全く同じ状況です)、全65棟の素晴らしい施設です。 「ひょっとしたら世界最大の博物館」とトホホさんが言ってました。

パンフレットによると、1982年頃、「日本での教科書歪曲問題」が問題となり、 国民の募金により建設することが決定され、1987年8月15日に開館したとのことです。

広大な駐車場に車を止め、かなり長い距離を歩きました。 入場券売場の脇で、記念として煉瓦に自分の名前を彫り込んでもらう、募金活動をやってましたので、 早速、申し込みました。 文字はハングルだけとのことで、 「呉 光朝(オ・クワン・チョ)」の発音にあたるハングルでお願いしました。 実際に壁として建設されるのは1年後とのことですので、そのころに確かめに来たいと思います。

改札を過ぎると、正面に大きな「キヨレー(民族)の家」があります。 壁面は韓国産と思われる白亜の花崗岩(日本の御影石よりも色が白く、丁度、 日本と韓国のアガシの皮膚の白さの関係と同じなので、何か因果関係があるのでしょうか)の堂々たる建物です。 但し、建物自体が花崗岩で作られているのではなく、 鉄筋コンクリート造の躯体に厚さが15mm程度の花崗岩の石板を張り付ける工法です。 最近、撤去された「旧朝鮮総督府(国立博物館)」は躯体自体が花崗岩で作られていたのとは、 見かけが同じでも基本構造が違います。 それにしても「旧朝鮮総督府」が移転でなく、 解体処理されてしまったのは、歴史・技術史の観点からは、まことに残念です。

もう一つ残念なのは、花崗岩の石板がところどころ剥がれたままになっていることや、 剥がれたあとを補修してあるのですが、石板の色合わせが完全でなく、色ムラになっていたことです。 博物館ですから「外観よりも中身」と、気にしないと言えばそれまでですが、 外観を重んずる韓国人らしからぬなぁーと思いました。


内容についてはそれなりに充実したもので、ここを一日中見て回れば、一とうりの韓国の歴史が判り、 良くまとまっています。 日帝時代の弾圧については、蝋人形を使って迫真にせまる展示があり、 我々、日本人にとっては見るのがつらいものも数多くありました。

私はすでに書物や「国立博物館」、「戦争博物館」で同じような内容を見ており、 新しい発見はそれほどありませんでしたが、韓国に観光で来られる人には、一回は見ておくものと、お勧めします。

韓国の歴史は大まかに言えば、10世紀以前の世界的にも先進技術の時代、550年も続いた李王朝時代、 19世紀後半からの大国による干渉・支配、及び戦乱に明け暮れた時代、大韓民国建国から現在までと、 大きく分類されますが、国土自体が戦場になった回数で言えば、世界的にも有数の国でしょう。 これは地理的な位置によるものが大きいというのは間違いないでしょう。 しかしながら、世界の歴史が大きく転回した18〜19世紀の、産業革命、市民革命、 に乗り遅れてしまったのが、決定的に大きなハンデになったのではないでしょうか。 3・1運動で立ち上がるだけの底力をもった人々の祖先が、なぜ、李王朝の鎖国主義、 事大主義に対して立ち上がれなかったのか? 19世紀初頭からは農民の反乱もあったようですが、地続きの中国(清国)からの援軍が功を奏し、鎮圧してしまったようです。 これは中国に対する自国の地位の低下をすすめ、愚民化を継続し、国力を著しく低下させていったのではないでしょうか。


今日、Lさんと会い、独立記念館に行った話をしましたら意外な答えが返ってきました。 「建設当時は反対運動も多かったのですよ。 車でしか行けない場所でエネルギーの浪費になるし、 それだけの大金を使うなら、もっと社会資本の充実に向けるべき、と言うのが反対派の論拠でした」
確かに他の博物館との展示内容のダブリも多いし、それも一理あるなぁーと感じました。


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