45年ぶりの日本語
毎日、同じ通勤コースでは飽きてしまうので、地下鉄の経路を変えてみました。 ソウルは地下鉄が発達しているので、違う経路に変えるのは簡単です。 会社の最寄り駅も違います。 退社後、駅の近くまで歩いてくると、新しい「デリカテッセン」の店を見つけました。 私の知る限りソウルでは始めてできた「デリカテッセン」です。 毎日の外食のメニューにいつも悩んでいますので、チャンスとばかり、直ちに店に入りました。
大きな店で、1階〜3階まで、すべて客席があります。 でも客はあまり入っていませんでした。 注文台でメニューを見ていたら、客席で話をしていた年配の男性(55歳くらいに見えた)がカウンターの中に入り、 Korea語でベラベラ話しかけてきます。 私はKorea語で「日本人です。 Korea語は少しだけしか判りません。 メニューを見て考えてますので、待ってください。」 と言いました。 すると、彼は英語でメニューの説明をし始め、私も相槌をうっていたのですが、 そのうちに「イルボン・マル OKヨ(日本語OKの意味)」と言うのです。 この歳の人が英語を喋るだけでも驚いていたので、つい、聞き返してしまいました。 すると、発音しにくそうに、2・3秒間、口をモゴモゴしていたのですが、 全く、奇麗な日本語が発声されました。 大人になってから勉強した日本語の発音とは明らかに違います。
「私は1931年生まれで、中学校2年まで、学校は日本語でした」と言ったのです。 若く見えたのですが、満66歳の、その店のオーナーだったのです。
注文したロースト・ビーフを席で食べていますと、店が暇なせいもあるでしょうが、 オーナーは私の前に座り、日本語で話しかけてくるのです。 以下に、彼の発言を思い出すままに、列記します。
彼は日本語が全く問題無く通用するのに喜んだのか、以後、「カッパ・エビセン状態」で、 ついには、厨房の中まで案内してくれました。 全て、最新式の機械で、デリカテッセンの本場であるアメリカと同じか、 それ以上とのことです。 原材料も全て輸入です(「メリケン粉まで輸入」と言いました)。 現在の日本では「メリケン粉」とはあまり言いませんが、植民地時代の「日本語」が今では韓国語になっているようです。)
今日の話題は、わずか20分位の出来事の報告ですが、内容的に4回位にわけて書くべきでしょう。 つまり、
これからも本場のデリの味を楽しむのと、オーナーの話を聞くために、 一週間に一回以上は行くことになりそうです。