6月6日は「顕忠日」と言って、国難に殉じた愛国者を慰霊する休日です。 今年は金曜日にあたるので、3連休の人が多いです。 勤務先の人達も家族揃って、マイカーで出かける人が多いようです。 混雑が嫌いな私は、チャンスとばかり、ソウル市内の名所に出かけました。
今日、行ったのは西大門区にある「独立門」です。 地下鉄3号線に乗って、景福宮駅の一つ先の独立門駅で下車したところにあります。 地上に出ると、すぐ隣が1990年に「西大門公園」として整備された敷地内に「独立門」があります。
「独立」と言うと、日本からの独立のように思いますが、そうではありません。
19世紀が終わろうとしている1890年代に、
それまで李王朝の宗主国として君臨していた清国が日清戦争に敗れ、
支配力が弱まっていました。 一方、戦勝国、日本はその野望を朝鮮半島に向けつつありました。
しかし、日本の野望は「三国干渉」など、ヨーロッパ列強の干渉で思いどうりには進んでいませんでした。
そのような状勢の中で、朝鮮人民は宗主国、清国の衰退を見越し、
独立運動が盛り上がったのです。
つまり、清国からの独立を宣言するモニュメントとして「独立門」が建設されたのです。
1896年に建設が始められ、1898年に完成した「独立門」は、 スイス人の設計で、パリの「凱旋門」を模したものと言われています(規模は小さいですが)。 施工はドイツの会社で、多くの中国人苦力(クーリー)の役務で建設されました。 (独立門脇に書いてある英文の説明による)
なお、現在の独立門は高速道路建設にともない、 元の位置より70m移動されているとのことです( 写真に写っている高速道路の左側の下が元の位置のようです)。 そこには、元々、宗主国、清国からの使者を迎える迎恩門があったそうです。 まさに清国からの独立を宣言するのに象徴的な場所だったのです。
余談になりますが、日清戦争における日本の勝利は、 ヨーロッパ、アジア諸国に対して強烈なインパクトを与えたようです。 ヨーロッパの地図では日本は一番右に描かれています。 つまり、地の果ての国が4000年の歴史(書いた歴史)を持ち、 人口、面積、ともに圧倒的に大きな中国(清国)を負かしたのは驚きだったのでしょう。
同じ頃、台湾では、清国が敗戦の賠償として台湾を日本に割譲しようと言う噂が流れました。
台湾の人民も清国の衰退と、「三国干渉」による日本の足踏みを見て、
独立運動が盛り上がりました。
そして、ついに「台湾民主国」の成立を宣言したのです。
この国は、外国からの承認は得られませんでしたし、数カ月で潰されましたが、
アジアで最初の民主主義国として歴史に栄誉を刻まれています。
韓国の独立門もそのようなアジア各国の独立の気運のなかで盛り上がったように思います。
しかしながら、日本の野望は、台湾、朝鮮の両方の独立運動を力ずくで薙ぎ倒し、
日露戦争に勝利すると、もはや「干渉」する国もなく、
その「やりたい放題」は1945年8月の破局に至るまで止まらなかったのです。
1年間の予定でソウル駐在です。 帰国するときの手間を考え、
資料らしい資料を持ってきておりませんので、記憶で書いています。
間違いがあるかも知れませんので、お気づきの方は
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