1997年6月2日号

鉄道博物館


日曜日は、例によって暇なので、鉄道博物館に行ってきました。 場所は地下鉄1号線が国鉄に直接乗り入れしているので、 「水原行き」に乗って終点から3駅手前の「富谷(プ・ゴック)」の近くです。

博物館は駅から15分くらい歩いたところにあり、隣は「鉄道学校」です。 このような専門の学校があるところをみると、 日本と同様に鉄道に力を入れていることがわかります。

建物はそれほど大きくないのですが、敷地が広いため、 屋外展示が充実しています。 入場料、500ウオンを払って入場すると、 目の前に巨大なSLが目につきました。 1940年に日本で製造された「ミカ1型」です。 軌道の幅が標準軌であるためか、子供のころに見た日本のD51よりも大きいと感じました。 駆動輪は4軸ですから、「輸出仕様」のD51と言った感じでしょうか。 乾燥重量は約82トンです。 しかし、現在のジャンボ・ジェットは最大離陸時重量が 350トンですから、巨大な鉄の塊に見えるこのSLの4倍です。 50年間の技術の進歩には驚かされます。

奥には、1942年に「京城鉄道工廠」で製造された、「パシ1型」がありました。 これは駆動輪が3軸ですからC62の「輸出仕様」と言ったところでしょうか。 C62と同じ設計思想と思われますが、 動輪の直径を大きくして(約170cm)速度を出しやすくしてあるようでした。

狭軌用のSLの名前がC、Dで始まっているのに対して、 標準軌のSLはカナなんですね(但し、 戦後、同じ発音のハングルの銘板に変更されたようで、展示車はハングル表示でした)。 おかげで、満州で世界最高速を誇ったアジア号が「パシナ」と言われるわけが少し判りました。

それにしても戦前の日本は満州、 朝鮮半島の植民地経営と兵員/軍事物資の輸送のために、 鉄道力の強化に、いかに力をそそいでいたかがわかります。


建物の中には1890年ころから現在までの展示がありました。 一番印象に残ったのは、釜山−ソウル間の特急列車の所要時間です。 1940年には「アカツキ号」が6時間30分で走ったそうですが、 戦後、同じ所要時間で走る特急は、1960年の「セマウル号」まで待たなければなりませんでした。 その間に20年の歳月が流れたのです。 戦後の混乱と朝鮮動乱が韓国社会の発展に大きなブレ−キをかけたかが判ります。

セマウル号の模型や説明がありました。 セマウル号は電車ではなくて、 ディ−ゼル機関車にけん引される客車です。 機関車は1両あたり約1000馬力ですが、私が見た中での最高は、 前部に機関車を2両、最後部に1両の編成です。 この列車を通過駅で見てますと、 合計3000馬力のディ−ゼル・エンジンがうなりを上げて走っていき、 ものすごい迫力です。 150km/Hくらいのスピ−ドが出ているのではないでしょうか。


最近はロッテワ−ルドなど、メジャ−な観光施設に客を奪われているのでしょうか、 日曜日にもかかわらずお客が少なかったです。 でも、混雑がきらいな私向きのところで、充分、楽しめました。


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