1997年5月12日号

21年前、ソウルにて


日本に帰っていて韓国情報が取れませんので、 私が初めて訪れた21年前のソウルで印象に残っていることを書きます。

このようなことを書かれると現在の韓国の方はいい気持がしないでしょうが、 現実に私達が体験したことですし、日本でも私が子供のころは同じようなことがあり、 どんな国でも経済発展の初期の段階には女性の力による外貨稼ぎとして、 当局も「見てみぬ振り」をしていた部分もあったのではないかと思います。 そういう観点から経済的に発展に貢献したわけですし、 個人レベルでの日韓友好にも意味があったのではないでしょうか。

ミョンドンのデパ−トにて
1976年5月のゴ−ルデンウイ−クの直前に会社の上司と同僚の合わせて5人グル−プでソウルに出張しました。 私にとっては初めての外国でした。 ホテルは当時最高級で国賓級が泊まるプラザホテルです。 もちろん、ホテルの格から言ってもアガシを部屋に連れ込むようなことは一切できません。 ロビ−では私服警備員がウヨウヨしていて、 そのような不埓なことをしようとする客は直ちに止められました。

日本に帰るのは日曜日にして、最後の土曜日はソウルの観光にしました。 お土産を買うためにミョンドンを同僚2人と歩いていると日本語が上手な男性が話しかけてきて、 高麗人参などのお土産を売っているいい店を紹介するとのことで、 Cデパ−ト4階のお土産専門フロア−に案内されました。 たしかにいい品が揃っていて、各自お土産を買い込みました。 買物が終わって帰ろうとすると、さきほどの案内の男性が我々に言いました。
「このフロア−の店員で気に入った娘がいたら誰でもいいですから言って下さい。 今晩、ホテルの部屋に行かせます」
私はこれを聞いて「目が点」になりました。 何人かのうちには夜のアルバイトをする人もいて不思議はないのでしょうが、 誰でもいいと言うことは「お呼び」がかかれば全員が応じると言うことなのでしょうか。 ソウルの一等地のちゃんとしたデパ−トなんですから、ブッタマゲました。

現在でもそのデパ−トはありますが、4階は食堂街に改装されてますし、 今は店員がそのようなことをしておりませんので誤解のないように。

ミョンドンのホテルにて
同僚の中にはエリオンと言う名前のアメリカ人がいました。 彼だけは同じミョンドンの別の一流ホテルに泊まってました。 ゴ−ルデンウイ−クが始まり彼も含めて日本に帰ることになりました。 ところが別の上司が入れ代わりに来ると言いだしました。 ゴ−ルデンウイ−クですからもうホテルは満杯で予約がとれません。 チェックアウトせずに居残るなら追い出すことはしないだろうと、 エリオンと入れ代わりに本人になりすましてそのホテルに入り込んだのです。 上司は滞米12年で婦人はアメリカ人とあって英語はネイティブといっても いいくらい上手です。
さっそく、フロントからは何時チェックアウトするかなどの電話は入るし、 空調の調子が悪いとかの口実でボ−イが部屋に見に来ます。 エリオンと言う名前なのに東洋人の顔をしているし、 ついに悪い人と怪しまれたようで、ボ−イが何回も来てあれこれと聞きます。 余りにもうるさいので上司は1万円のチップを渡してボ−イを黙らせました。
これで部屋が確保できたと安心してたら、またドアがノックされました。 ドアを開けると先程のボ−イがアガシをつれて来てました。 チップが多額だったのでボ−イが勘違いしたようです。


大変な時代だったのですが、今は無くなってしまった何かがあったように思います。 やはり経済が発展すると失うものがあるのはどこの国でも共通なのでしょう。


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