21年前、ソウルにて
日本に帰っていて韓国情報が取れませんので、 私が初めて訪れた21年前のソウルで印象に残っていることを書きます。
このようなことを書かれると現在の韓国の方はいい気持がしないでしょうが、 現実に私達が体験したことですし、日本でも私が子供のころは同じようなことがあり、 どんな国でも経済発展の初期の段階には女性の力による外貨稼ぎとして、 当局も「見てみぬ振り」をしていた部分もあったのではないかと思います。 そういう観点から経済的に発展に貢献したわけですし、 個人レベルでの日韓友好にも意味があったのではないでしょうか。
日本に帰るのは日曜日にして、最後の土曜日はソウルの観光にしました。
お土産を買うためにミョンドンを同僚2人と歩いていると日本語が上手な男性が話しかけてきて、
高麗人参などのお土産を売っているいい店を紹介するとのことで、
Cデパ−ト4階のお土産専門フロア−に案内されました。
たしかにいい品が揃っていて、各自お土産を買い込みました。
買物が終わって帰ろうとすると、さきほどの案内の男性が我々に言いました。
現在でもそのデパ−トはありますが、4階は食堂街に改装されてますし、
今は店員がそのようなことをしておりませんので誤解のないように。
「このフロア−の店員で気に入った娘がいたら誰でもいいですから言って下さい。
今晩、ホテルの部屋に行かせます」
私はこれを聞いて「目が点」になりました。
何人かのうちには夜のアルバイトをする人もいて不思議はないのでしょうが、
誰でもいいと言うことは「お呼び」がかかれば全員が応じると言うことなのでしょうか。
ソウルの一等地のちゃんとしたデパ−トなんですから、ブッタマゲました。