サイパン旅行記(その3、昼の部2)
サイパン弥次喜多道中記(その3、昼の部2)です。
お客は日本人と韓国人がほとんどで、 艦内の説明放送も日本語とKorea語の両方だけで、英語はありませんでした。 日本人も韓国人も新婚旅行風のカップルが多く、日本人の家族連れもいました。
インテリであるI氏が「ゼロ戦」と言う単語すら知らなかったのには驚きました。 軍国主義時代のことをいまさら韓国の人に宣伝したり、誇ることではないですが、 サイパンを大量に訪れる韓国人観光客は、 今まで韓国内ではタブーとなっていた(多分)日本軍国主義の傷跡をみて、 将来の韓国、日本に対する反面教師として反映していただきたいと思いました。
聞くところによると、 一部には「日本はKorea始めアジアに対して悪いことをしたので、 原爆などのバチを受けるのは当然だ」というような因果応報論があるようです。 まあ、自分に都合のいい結果だけをつなぎあわせるとこのような論理もできるのでしょうが、 韓国の人達が良く言う「歴史を知れ」という言葉を日本人のみならず韓国の方にも そのまま返して上げたい気持ちです。
海岸に立つと、
美しい珊瑚礁の海を隔てて約5km沖合いには大きな山がなく、
島全体がフラットなテニアン島が一望できます。
今から52年前の1945年8月6日未明にテニアンの戦時飛行場から秘密命令を
受けたB29爆撃機が離陸しました。
そして午前8時頃には広島市の上空に到達したのです。
以前、”エノラ・ゲイ”と言う題名のVideoを見たことがあります。
これによると、乗組員は何か月も前から本土で極秘に原爆投下訓練をしていたのです。
落とすだけならそれほどの訓練の必要はないのですが、
爆発までに自分自身が安全な距離まで逃げていることが必要です。
これを見たとき、
片やそれほどの戦果も出てなかった特攻を繰り返していた日本と比べ、
貪欲なまでに自分の損害を最小とし、
かつ相手に対して最大の損害を与えようとするアメリカと言う国の凄さを痛感しました。