サイパン旅行記(その3、昼の部1)
サイパン弥次喜多道中記(その3、昼の部1)です。
物価が高いサイパンではありますが、 レンタカー会社はアメリカ本土の会社が多いので、本土とそれほど変らない料金です。 以下に、私が借りたハーツの料金を示します。 雪岳山で借りる料金とどのくらい違うのかも興味があるところです。
車種 | 小型車(シビック・クラス) | |
レンタル料/日 | $59.85/日 | 税金5%付加される |
同追加時間/時間 | $12.00/時間 | 同上 |
保険料/日 | $22.85/日 | 1日単位、税金不要 |
ガソリン代 | 満タンで借り、満タンで返す | |
乗り捨て料 | なし(借り:ホテル、返却:空港) |
私たちがいる間に数組みのグループがマイクロバスでやってきましたが、 すべて韓国人の団体でした。 彼らは旧日本軍のトーチカ内などで、 Korea語によるガイドの説明を聞いていました。 I氏が話しかけていましたが、どんな感想かは聞けませんでした。
近くにはスーサイド・クリフがあります。
こちらはさらに険しい絶壁で、落ちたら絶対に助からないでしょう。
今から約1,350年前に白羅が百済の首都(現在の扶餘)を陥落したときに
百済の女官たち数百人が生きて辱めを受けるよりはと、
断崖(落花岩:花が落ちるようだったことから命名)から身を投げたそうです。
私も行ったことがありますが、ここも風光明媚な場所でした。
英語の諺にも「不名誉に生きるよりも死ぬ方がましだ」と言うのがありますから、
世界共通のメンタリティーのように思います。
ものの本によると、1944年7月、
合衆国海兵隊がサイパンを奪回するのは目前に迫っていました。
「生きて虜囚の恥をさらすよりも死を選べ」と教育されていた日本軍兵士や一般市民、
約5000人が荒れ狂う波間に消えたのです。
53年後のいま、現地に立ってみると、
「荒れ狂う波間」と言うのはどうも嘘臭く思えてきました。
日本では見たことがない紺色の海−−しかも風が少なく、白波も立っていない−−、
眩しすぎる太陽、
53年後の今日と同じ、
南海の楽園のような島で静かに悲劇が進行していたのではないか、
と思えてきました。
但し、
日本軍は「捕虜=恥」とすり替えて、
最後まで戦わせようとした意図が見え隠れしていて後味が悪いです。
事実、日本語を話すことができる合衆国海兵隊員が「降伏は恥ではない」と
懸命の説得を続け、何人かの命が救われたとのことです。