1997年5月7日号

サイパン旅行記(その3、昼の部1)


サイパン弥次喜多道中記(その3、昼の部1)です。

レンタカー
何の予定も基礎知識もなく来てしまいましたので、 とりあえず、 レンタカーを借りて地図を頼りに島の北部にある第二次世界大戦の遺跡巡りをしました。 旅行社のオプショナルツアーに申し込めば、 マイクロバスで解説付きが楽しめるのですが、それでは弥次喜多道中になりません。
サイパンでは日本と違って左ハンドルの右側通行ですが、 通行量が少なくそれほど危険ではないので、レンタカーの旅が楽しめます。 5月下旬には韓国の名勝地である雪岳山に行くので、 1年半ほど左ハンドルを運転してなかった感覚を取り戻すのによい機会でした。

物価が高いサイパンではありますが、 レンタカー会社はアメリカ本土の会社が多いので、本土とそれほど変らない料金です。 以下に、私が借りたハーツの料金を示します。 雪岳山で借りる料金とどのくらい違うのかも興味があるところです。

車種小型車(シビック・クラス)
レンタル料/日$59.85/日税金5%付加される
同追加時間/時間$12.00/時間同上
保険料/日 $22.85/日1日単位、税金不要
ガソリン代満タンで借り、満タンで返す
乗り捨て料なし(借り:ホテル、返却:空港)

無計画だったので、滞在の全期間を借りてしまいました。 保険料は日割だけで時間割料金がないことと、 1日で全部見ることができる小さな島なのでスケジュールを工夫すれば、 節約できたのでしょう。 しかし、予定にしばられずにハンドルがおもむくまま、 I氏とダべリながら走るのも”Easy Rider”の気分で、 休暇の過ごし方としては小さな贅沢として良かったと思っています。

第2次世界大戦遺跡巡り
島の北部にある遺跡を巡りました。 バンザイ・クリフには慰霊碑がたくさんありますが、 それらのなかに韓国のロータリークラブが建立したものもあります。 これはサイパンのみならずその他の戦場も含めて 「大日本帝国軍人」として従軍した200万人のKorea人の霊を弔うものです。

私たちがいる間に数組みのグループがマイクロバスでやってきましたが、 すべて韓国人の団体でした。 彼らは旧日本軍のトーチカ内などで、 Korea語によるガイドの説明を聞いていました。 I氏が話しかけていましたが、どんな感想かは聞けませんでした。

近くにはスーサイド・クリフがあります。 こちらはさらに険しい絶壁で、落ちたら絶対に助からないでしょう。
ものの本によると、1944年7月、 合衆国海兵隊がサイパンを奪回するのは目前に迫っていました。 「生きて虜囚の恥をさらすよりも死を選べ」と教育されていた日本軍兵士や一般市民、 約5000人が荒れ狂う波間に消えたのです。
53年後のいま、現地に立ってみると、 「荒れ狂う波間」と言うのはどうも嘘臭く思えてきました。 日本では見たことがない紺色の海−−しかも風が少なく、白波も立っていない−−、 眩しすぎる太陽、 53年後の今日と同じ、 南海の楽園のような島で静かに悲劇が進行していたのではないか、 と思えてきました。

今から約1,350年前に白羅が百済の首都(現在の扶餘)を陥落したときに 百済の女官たち数百人が生きて辱めを受けるよりはと、 断崖(落花岩:花が落ちるようだったことから命名)から身を投げたそうです。 私も行ったことがありますが、ここも風光明媚な場所でした。

英語の諺にも「不名誉に生きるよりも死ぬ方がましだ」と言うのがありますから、 世界共通のメンタリティーのように思います。
但し、 日本軍は「捕虜=恥」とすり替えて、 最後まで戦わせようとした意図が見え隠れしていて後味が悪いです。 事実、日本語を話すことができる合衆国海兵隊員が「降伏は恥ではない」と 懸命の説得を続け、何人かの命が救われたとのことです。


昼の部は1回で収まりませんでしたので、あと一回書きます。 この調子で行くと楽しい夜の部は何回に分かれるのでしょうか。


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