1997年4月30日号

戦争記念館(その3、最終回)


昨日に続いて戦争記念館(その3、最終回)です。

朝鮮動乱(つずき)
この時代はそんなに古くなく、今から47年前ですので、 実写フィルムもたくさん残っていて、繰り返し上映してました。
マッカ−サ−が仁川に上陸以後は、 アメリカを中心とする国連軍が最新兵器を持ち込み、 地上では同一民族の戦いによる残酷な直接戦闘及び心理戦が行われていたのですが、 空では派手な空中戦(確か史上最初のジェット機同志の空中戦はこの戦争でした)や 第2次世界大戦末期から量産されていた有名なB29による爆撃の様子が放映されていました。
爆弾投下口を開くと一度に50個くらいの爆弾が投下されるのです。 しかもB29は何機も編隊を組んでいるのですから、 本当に「雨が降る」ように大量の爆弾が落ちていきました。 こんな映像を見せられると、 私が住んでいる辺りにもまだ不発弾が眠っているのではと心配になりました。

この戦争で亡くなったのはKoreaの人々だけでなく、 国連軍として参加したユ−ロッパやアジアの国々の兵士も亡くなっていて、 銅雀区にある国立墓地に埋葬されています。 また、北朝鮮で行方不明となったアメリカ兵の返還について今でもアメリカ政府が 北朝鮮に要求していることは新聞等で報道されているとうりです。

ベトナム戦争参戦
韓国人以外の人々は韓国軍がベトナム戦争に参加したことは記憶のかなたになってしまったかも知れませんが、 当地では忘れられない出来事ですので、 記念館でも相当なスペ−スをさいて展示してます。

最近の国会でもある閣僚がベトナム参戦に関する不用意な発言のために更迭させられましたし、 実際に参戦を経験した人も街の中にはたくさんおり、 韓国社会に影を投げています。 また、ベトナム人の中にも勇猛果敢だった韓国兵のことを今でも覚えている人が多いそうです。
韓国軍のベトナム参戦は上記のようなことを別にしても、 現実に参戦によるアメリカからのさまざまな見返りにより、 「漢江の奇跡」とか「Take Off」 とか言われる目覚ましい経済発展が始まった時期と一致しているのは偶然ではないでしょう。 (同じくその頃、「日韓条約」が締結され5億ドルの賠償も払われているので、 その資金も経済発展に相乗的に効果があったものと思います。 また、日本政府が元慰安婦に対して見舞金を政府から払わずに、 民間レベルにしているのは、 政府間の債務はこの5億ドルで清算済という論拠によるものです)

ベトナム関係の展示室で一つだけ残念なことがありました。
ベトナムの一般の人が戦火を逃れて非難する様子を説明するパネルに、 「ライカでグッドバイ」で有名な沢田教一 の撮影によるピュリツァ−賞受賞作の「安全への逃避」が使われていたことです。 タイトルはおろか沢田、ピュリツァ−賞の説明もなく、 写真そのものもアミ点がかかっていて、印刷物からのコピ−のようでした。 著作権者からの承諾も記載がありませんでした。 これではベトナム戦争で散り、 遺骨さえ日本に帰っていない名カメラマンに対して失礼だと思いました。

屋外展示場
B52の実物、韓国国産潜水艦の縮小レプリカ、 イ・イ戦争で使われたスカッドミサイルの実物大復元モデル、 北朝鮮からの亡命者が乗ってきたMIG19戦闘機の実物など、 とても日本では見ることができないものがありました。 私は戦争を賛美するつもりはないのですが、 技術者と言う商売柄、とても興味深く見ることができました。

3回に分けた戦争記念館もやっと終わりました。 まだまだ興味はつき無いので、いつかまた行ってこようと思ってます。 新しい発見があればまたレポ−トします。

PS:
当地でも日本のゴ−ルデンウイ−クほどではないですが、 連休があり数日間旅行に行きますので帰ってくるまで休刊にします。


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