1997年4月24日号

日本人の完璧主義


外国から日本を見ると日本にいたときは気がつかなかったことが見えてくるものです。 最近感じるのは日本人の完璧主義です。

数年前に読んだのですが、 シンガポールに今日の繁栄をもたらした強力な指導者、 リー・カンユー上級相の言葉は印象的でした。 以下思い出すままに書いてみます。

私は今でも三ヵ国の国歌を歌うことができる。 「君が代」、「イギリス国歌」、 そして現在の「シンガポール国歌」である。 それはシンガポールが歩んできた植民地時代から現在までの歴史でもある。 もちろん国歌だけでなく、その人達もよく知っている。

日本人を知るには日本刀を見れば良い。 軽くて強靭で良く切れる。 これほど完成された刀は世界でも他にない。 人を切るための最良の武器をめざして改良に改良を重ね、 芸術的な美にまで到達してしまった。
これは日本人の完璧主義を一番表わしている。 完璧主義は現在でも続いており、 経済的な繁栄もそれによるところが大きい。 しかし、その完璧主義が外国に対して向けられたら、 アジアの国々にとっては危険なことである。

私は完璧主義がなぜ危険なのかは理解できませんでしたが、 外国でそのようにとらえている人がいること自体が驚きでした。 そう言われてみれば、 日本の工業製品はこの世に存在しないはずの完璧をめざしているのは確かだと思いました。 「完璧を目指す」、つまり、 いつまで経っても終わりがない、あくなき努力をしているということでしょうか。

このような観点でこちらの工業製品を見ると、確かに「甘い」ところがあります。 韓国だけでなく、 アメリカやヨーロッパでも日本製品から見れば「甘い」と言えるでしょう。 日本製品だけがやりすぎているとも言えるのです。 完璧をめざすあまり、製品を世の中に出すのが遅れてしまうのは、 変化が早い今の世の中にマッチしてないとも言えるでしょう。 品質を上げることはコスト高になると言う人がいますが、これは間違いです。 不良品の山を築いて、スクラップにしたり、市場から回収することを考えれば、 むしろ全体のコストダウンになっているのです。

品質という面で韓国をみると、電話の声が時々割れて聞こえたり、 地下鉄切符の自動販売機が良く壊れているいるのも、 ご愛敬と思えてきます。 そのくらいのことで重大な影響はないですし、 外国ではよくあることですから。 こちらに住んでいるとそんなことはあたりまえに思えてくるので、 慣れというのは恐いですね。
今日の朝も、地下鉄の改札機で通せんぼをくらいましたが、 良くしたもので、臨時駅員のような人が常時監視していて、 すぐに通してくれました。
そうは言っても、橋が落ちたり、 地震もないのに百貨店が倒壊するのは困りますね。

完璧主義も工業製品にはいいですが、一般生活ではある程度、 非完璧なところがないと堅苦しいですね。 その点、こちらの友人とのつきあいはリラックスしていて肩がこらなくていいです。


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