歴研レジメ「鹿島の太刀と鹿島神宮

2025.7.6 横浜歴研 小川眞一

1.はじめに

 

武術は東国より発する。古武道流派の発祥の地として鹿島神宮、香取神宮が鎮座する。「兵法は東国から」といわれ両社を中心に流派武術がさかえ、鹿島新当流・天神香取神道流が源流となった。鹿島は武御雷神、香取は経津主神を祀る。二柱は記紀の神話において、出雲の国譲りの戦さに登場する武神である。

鹿島・香取の両神宮は、「国譲り神話」「神武東征」の神話背景の由緒を持ち神武天皇の時代に創建されヤマト政権の東の軍事的拠点であった。常陸国の鹿島台地と西南の台地の香取は利根川をはさむ地はともに海上の交通と内陸の水路の要所であった。 とくに鹿島神宮はヤマト政権の東国遠征の拠点として東国の武人に活用された史実がある。両神宮ともに奉仕する神官たちには親戚朋友の関係があり不離一体のものとして共に武術を発展させた。「鹿島の太刀」として伝わる神道流武術は両神宮の神職たちによって現代まで伝承されている。鹿島神宮と香取神宮の神話的背景を持つことから、その伝承と歴史、神道流独特の武術の術理と精神について述べる。

 

2.流派武術について

今日につながる武道の原型が形成されたのは、15世紀後期から16世紀にかけて生まれた流派武術においてである。戦国時代に入って各地で合戦が相続く中で、合戦で必要とされ武術が専門化し、弓術、剣術、柔術等において優れた人物が現われ、それぞれの専門的な技法と、その教習法を工夫して、それぞれに流派を形成した。剣術では、江戸時代に大きく展開する新当流、一刀流、新陰流の基になった三つの源流として(1)鹿島の太刀―香取神道流(2)念流-中条流・富田流(3)陰流がいわれている。

15世紀後期飯篠長威斎(いいざさちょういさい)が鹿島の太刀の伝統を受け継いでいたが、主家の千葉氏宗家が滅亡した康正元年(1455)以後香取神宮に千日参籠して兵法神書を授かって香取神道流を樹立した「中興刀槍の祖」といわれる。

鹿島の太刀は、天真香取神道流と飯篠長威斎に学んだ松本備前守政信の鹿島神流、鹿島古流の秘伝と融合して継承して創流した塚原卜伝の鹿島新当流により、後代の新陰流や示現流、天道流、神道夢想流など諸派の源流となった。

 

「鹿島の太刀」の歴史と伝承

・鹿島の太刀は、仁徳天皇の時代に国摩眞人(くになずのまひと)が、武御雷神の篩霊剣(ふるのみたま)の神術を後世に伝えようと鹿島神宮に日夜祈祷し「篩霊剣(ふるのみたま)の法則」-「神妙剣」の極意を悟った。以降鹿島の神官は武技に励み鹿島上古流、鹿島中古流など各家にそれぞれの流れを伝える。

戦国期初頭に飯笹長威斎により天真正伝香取神道流、塚原卜伝によって「一の太刀」の鹿島新当流が創流され鹿島・香取両神宮で展開、継承される。鹿島神宮には、「神武東征神話」の霊剣―篩霊剣(フツノミタマノツルギ)が武御雷神の象徴として祀られ日本武道の淵源となっている。剣は武力を象徴するものであり、天皇家の三種の神器の一つであり戦国武将たちも神社に剣を奉納している。

・「鹿島の太刀」(鹿島流剣術)は、塚原卜伝を中興の祖とする新当流とその流れをくむ系統で伝承されている。卜伝は剣の道を極めたが、書いた伝書や目録はなく、古い資料も見当たらないので不明なことが多い。(秘伝、口伝、唯授一人)

・伝承されている大きな流れとして天真香取神道流(飯笹宗家、大竹師範家)、鹿島新当流(吉川宗家)、鹿島神流(国井師範家)がある。それぞれ両神宮の神職たちによって継承されている。いずれも神道色が強く、武術の理念・術理に神話のイメージが強い。

 

4.塚原卜伝

「鹿島の太刀」の剣豪では塚原卜伝[1489―1571]が鹿島新当流を開祖して有名である。室町末期の剣豪で「一の太刀」を開眼した。鹿島の剣の系統は、吉川という家が宗家として継承してきた。吉川家は代々鹿島神宮の神官で、卜占を職務とする家柄であり、本姓を卜部といった。卜伝は常陸大掾 鹿島家の宿老で、鹿島神宮の祠官、卜部(吉川)覚賢(あきかた) の二男に生まれた。少年のころから剣を好み、実父覚賢から家伝の鹿島中古流を学び、養父(塚原土佐守安幹)と飯篠長威斎 から天真正伝神道流を学んだ。

卜伝は鹿島の伝統的な剣と香取神道流の二つの流派を学び融合させて新当流を開眼した。廻国修行を重ねて剣術の修行に打ち込み、鹿島神宮に参籠して兵法の奥儀を開眼し、極意を「一の太刀 」と名づけ流名を新当流と称した。晩年の回国修行では数々の門弟を率いて諸国を歴遊に努めた。『甲陽軍鑑』によれば、「一行の総勢、上下80人を召し連れ、大鷹 三疋 を据えさせ、馬三頭を引かせて威光を示し、華美にふるまった」という。足跡は西国に及び甲州武田氏山本勘介、伊勢の国司北畠具教に一の太刀を伝授した。「本朝武芸小伝」では、京都に上り、将軍足利義輝 や細川藤孝 らの大名に刀槍の術を伝授したと記されている。卜伝の高弟であった松岡兵庫之介も卜伝の妙技を会得して後に一の太刀を徳川家康に伝授したことを記している。晩年は郷里に帰って隠棲、83歳で逝去。

 

. 神話的背景

 1)「国譲り神話」

鹿島神宮は武御雷神の「国譲り」神話に由来した武神の神宮である。イザナギが火の神カグツチを斬った時に、 剣の鍔際にほとばしった血から生れた神である。武勇を司る神であり、雷神でもある。古事記によると天照大神は、孫の瓊々杵命に豊葦原水穂国を治めさせようと考え、建御雷神と天鳥船神に命じて、様子をうかがわせた。二柱の神は、出雲の国稲佐の浜に降ると、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主神に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。大国主神はしばらく考え、もし自分の子どもたちがよいというのであれば、この国は天神の御子に譲ると答えた。大国主神には、事代主神と建御名方神という二柱の子供がいた。長男の事代主神は譲るというが、次男の建御名方神は、力じまんの神でなかなか納得しなかった。建御名方神が千引石を手の先で持ち上げながらやって来て、「力競べをしようではないか」と建御雷神の手を掴んだ。建御名方神が、建御雷神の手をとると、氷のようになり(立つ氷)、剣の刃のようになったので怖じて退いた。逆に建御雷神は建御名方神の手を取ると押しつぶして投げ離したので、建御名方神は、諏訪へ逃げかえった。大国主神は、息子が負けたのを知るや、祀られることを条件に国を譲ることにする。大国主神は自分が隠れ住む宮殿を、天神の住む宮殿のように ることを願い、そこに移り住むことにした。建御雷神は葦原中国の平定をなし終えると、高天原に復命した。出雲の国は、天神の御子瓊々杵命に譲られた。武力で戦うのではなく、逃げた息子も殺されることなく、平和的に支配権が譲られた。このことは、相手を徹底的に支配するのではなく、その地の祭祀権を保証することによって自主的に服属させる形である。ヤマト政権が非常に早く列島の統一をなしたのは、皆殺しの征服戦争ではなく、服属の形をとることで支配したためである。

日本書紀では「国譲り神話」には経津主神が主で武御雷神が副神としてともに出雲に下ったとされてともに香取神宮に祀られている。二神は共に東国の守りとされ、武神として全国の武道の道場に祀られている。

 2)「神武東征神話」

神話の時代、天孫降臨を果たしたニニギ命の曽孫にあたるイワレヒコという名の皇子(神武天皇)は「ここから遠く離れた東方にこの国の中心に位置し、大和と呼ばれるすばらしい土地がある」と、九州の高千穂を出発し船で海を渡り大和を目指した。東征の途中には土地の豪族たちの抵抗や、激しい戦いによる兄の死など、幾多の困難に遭遇しながらも一行は大和を目指す。一行が紀伊半島を周回しの熊野に上陸すると、悪神の毒気により兵士たちが次々と重い疫病にかかり倒れてしまい、全軍は壊滅寸前の状態に陥った。その時、高天原では天照大御神と高木神(高御産巣日神)が地上世界の喧騒を心配し、すでに天孫降臨を成就させた武甕槌神を遣わそうとしたところ、武甕槌神は「自分が行かずとも、国を平定した特別な剣があるのでそれを天より降せばよい」という。そして武甕槌神は熊野の高倉下の夢に立ち「高天原の命によりこの剣を倉に天降すから、お前は朝目覚めたら天津神の皇子に献上しなさい」と伝える。天から降された一振りの剣(韴霊剣)を、翌朝高倉下が皇子に捧げる。するとこの剣の持つ不思議な力、起死回生の力によって兵士たちは疫病から力を取り戻して蘇り、従わぬ豪族たちの抵抗も見事に平らげることができた。その後、皇子一行は八咫烏の案内により熊野から吉野、吉野から大和へと進軍し、無事に大和の平定を達成した。そして、この皇子は大和の橿原宮で初代の天皇、神武天皇として即位した。神武天皇は武甕槌神に謝恩して即位の年に鹿島神宮を創設した。

 

6.鹿島と香取

) 鹿島神宮の由緒

祭神:武甕槌神: 剣の神:刀剣に宿る神霊として、武勇や武術と関連付けられる。雷の神:雷を操る神として、破壊と創造の力を象徴する。

・国譲り:天照大御神の命を受け、出雲の国譲りを交渉し、大国主神を服従させた。

・神武東征:神武天皇の道案内や、窮地を救うなど、天皇の即位を助けた。

・鹿島神宮の主祭神として、武運長久や必勝祈願の神として信仰されている。単なる武神としてだけでなく、剣や雷といった自然現象と結びついた多面的な神として重要な存在である。(韴霊剣、ナマズ要石)

・飛鳥・奈良時代には関東から集められた防人がこの地で武術の訓練をされた後出立したとされ「鹿島立ち」の語もあった。そのため、鹿島神宮では神官の間で古くから鹿島として刀法が伝わっていたとされる。

・鹿島には藤原氏前身の中臣氏に関する伝承が多く残る。藤原氏祖の藤原鎌足もまた常陸との関係が深い。(常陸国風土記、大鏡)

・藤原氏神である春日大社の主祭神は4柱のうち武甕槌命、経津主命が春日神と呼ばれ守護神となっている。藤原鎌足は大化の改新後、天皇が平城京に遷都して、都を力強いエネルギーで守り、地盤を固めて確固たるものにしようと意図した。主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。

・祭り:祭頭祭(棒の組み合わせ奇祭)・神幸祭・御船祭(水運の神)

) 香取神宮の由緒

祭神:経津主命(ふつぬしのみこと)

日本書記に登場する武神で、香取神宮の祭神。武勇長久や国家鎮護の神として信仰されており、武甕槌神と共に国譲りの交渉や東国平定に活躍したとされる。(古事記では、武御雷神、日本書紀では経津主命を中心に書かれている)

・武神経津主命は、刀剣の神格化された側面を持ち、「フツ」という音は、刀が物を切る音を表す。

・経津主命を祀る香取神宮は、鹿島神宮(武御雷神)と対峙するように位置し、両社は古くから深い関係で結ばれている。

・信仰: 武勇長久、国家鎮護、勝運、交通安全、災難除け

・物部氏との関係: 経津主命は元々物部氏の祖神であったが、後に中臣氏(藤原氏)の祭神である武御雷神その神格が取って代わられた説あり

・祭り:式年神幸祭(水運の神)

4)鹿島・香取は海上・水上交通の要路

鹿島・香取の両神宮とも、古代より朝廷からの軍神として崇敬の深い神社。古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯に香取海という内海が広がっており、両神宮はその入り口を扼する地勢学的重要地に鎮座する。この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており、両神宮はその拠点とされ、両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた。鹿島神宮の社殿が北を向くことも、蝦夷を意識しての配置といわれる。

・「鹿島詣」:江戸時代後半から、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社を遊覧・参拝する「東国三社参り」が盛んになり、文人墨客が水郷巡りに訪れるー芭蕉

 

3.術理と理念

 1)鹿島の太刀の理念

・日本神武の精神の中核をなす「武甕槌命の包容同化の剣」:全ての技を螺旋運動として操るための基本法則。究極的に「宇宙創元の理」へと収斂。鹿島神流の教義では、発顕・還元・推進を繰り返す無始無終の自然現象として捉えている。

・鹿島神流の構では技の起こりの形であると同時に技の最終形であり、動きを内在した静止状態。

・鹿島神流の稽古:組業は「基本太刀」「裏太刀」「相心組太刀」「実戦太刀組」「合戦太刀」「鍔競・倒打」「抜刀術」から構成

・即実性のある「形稽古」を行なうことによって実戦的な技を身に付ける。

・表業は剣術・懐剣術・抜刀術・杖術・薙刀術・槍術など、裏業は柔術・棒術

    一の太刀:塚原卜伝が鹿島神宮に千日参籠して神感を得、「一の太刀」という妙術を考案し新当流を号した。

・五ヶ之法定「動静一体、起発一体、攻防一体、虚実一体、陰陽一体」の原理)~技の起こりの形であると同時に技の最終形:動きを内在した静止状態(鹿島神流)

・一つの太刀に生を燃焼しつくし、「気に甲をも打ち割るほどの気迫を込めた捨て身の技を精神」とし、二の太刀、三の太刀を用いない。(卜伝流剣術目録)

    神妙剣: 鹿島神宮に伝わる霊剣 布都御魂剣神霊を宿す剣として、武神・建御雷神と一体視される。「神妙」とは、「神秘的で不思議なほどすぐれている」、邪気を祓い、国を平定し、神々の意志を示す神具とされる。

    篩霊剣の法則:7世紀に鹿島神官の国摩眞人が高天原に熱祷闘を籠めて、武御雷神より授かった武人の戦闘術に改変する際に創案した真理。

・「閃すれば国中が平和になる」~平国の神剣(国を平和にすべき神の業)

・ものの道理を明らかにし強い決断力と神剣をふるう作法、道理などを授かった。

    平国の剣:国を平らげる治国の象徴としての霊剣~武力にたよらず平和的に国譲り

 

まとめ

現在はスポーツ化、国際化されているが武道は、日本古来の尚武の精神に由来し、長い歴史と社会の変遷を経て、術から道に発展した。心技一如の教えに則り、礼を修め技を磨き、身体を鍛え、心身を練る修行道、鍛錬道として洗練されて発展してきた。武道の特性は、今日に継承され、旺盛な活力と清新な気風の源泉として日本人の人格形成に少なからざる役割を果たしている伝統文化の一つである。

 

参考文献:

1.     「刀剣の歴史と思想」酒井利信 日本武道館 2011

2.     「日本の古武道」横瀬和行 日本武道館 2001

3.     「鹿島神傳武術」關文威 著杏林書院 2010

4.     「日本の伝統文化「武道」」魚住孝至 山川出版社2021

参考サイト

・鹿島の秘太刀(明治神宮・鹿島神宮)

 初伝:https://www.youtube.com/watch?v=sIeJNQYABqY

 中伝:https://www.youtube.com/watch?v=CBwhGrPnE8E

 奥伝:https://www.youtube.com/watch?v=eW9LqhjDA7A

・鹿島新当流(鹿島神宮奉納演武)

https://www.youtube.com/watch?v=lt0ZJvgHUsA

・鹿島神流 公式奉納演武 (鹿島神宮)

´ https://www.youtube.com/watch?v=wgGXp0_puqc

資料集

 

  

 

   

      

   

 


塚原卜伝年譜